[memory]10 - takaci  様



「あっこれ、淳也が公園で迷子になった時だよ。その時に撮られたんだねえ」


理沙の母は当時の様子を思い出す。


「でもホント楽しそうに笑ってるね。これがあの淳也なの?」


理沙は写真に写る我が子がとても人見知りの激しいあの淳也だとは信じられない。





雑誌の前半部分のモノクロページ、


丸ごと1ページ使用した大きな写真にしっかりと淳也の笑顔が映っている。


だがこの写真のメインは淳也ではなく、





『真中淳平×東城綾 結婚秒読み!!』





淳也を肩車する若手映画監督真中淳平と、笑顔でその脇を歩く天才小説家東城綾。


このふたりのデートの様子を紹介する記事と写真だった。





記事には当時の様子が簡潔に書かれており、迷子の男の子と過ごした微笑ましい光景に対し、記者は好意的な意見が書かれている。


『男の子と過ごしていた光景はもはや仲の良い夫婦にしか見えない。数年後にはこのふたりの実子とともに、このような幸せいっぱいの光景を見せてくれるだろう』


記事はこう締めくくられていた。





「あのふたりが結婚かあ。ホント仲の良いふたりだったからそんなに驚きはしないけど、こういう話は良いねえ」


理沙の母は記事を読んだ後、店に掲げられているサイン色紙に目を向ける。


「でもでも淳ちゃんが出てるなんて、ホントびっくりしたわよお。しかも男に肩車されてるのにこんなに楽しそうで・・・この辺の男だったら考えられないよねえ・・・」


淳也が若い男になつかないのはこのおばさんも知っているので、この写真の笑顔はおばさんにとっては驚きでしかない。


「だから前に言ったようにきちんとした男なら淳也もなつくんだって!あの子は男を見る目があるの!なっ理沙!!」





「・・・理沙?」


理沙は雑誌の写真をやや不機嫌そうな顔で凝視している。


「どうしたの?そんな不機嫌そうな顔して・・・」


「あ・・・あ・・・う、ううん、なんでもないよ」


理沙は慌てて雑誌を閉じて、おばさんに返した。


「そっか、この監督結婚するんだ・・・あっでもやっぱり男の浮気性ってなかなか直らないって聞くし・・・東城綾も苦労するんじゃないかなあ?」


「どうかねえ。まあ結婚すればおおっぴらな浮気は出来ないし、スキャンダルは減るんじゃないかねえ」


「ねえ、理沙は淳也が載ってるのを驚かないの?なんか真中監督のほうが気になってるように見えるけど・・・」


娘の態度が腑に落ちないのでそう尋ねると、


「なっ・・・それはお母さんでしょ!それにあたしはお母さんからこの話を聞いてたからそんなに驚かないし・・・あっそうだお父さん呼んでこなきゃ!!」


理沙は一層慌てて、まるでこの場から逃げるかのように裏の畑で農作業をする父を呼びに出て行った。





(やだ・・・あたしも気付いちゃった・・・自分の気持ち・・・)


理沙は、映画監督真中淳平のことを好きでなかったが、『特にここが嫌い』というのは無く、ただ漠然とした想いであった。


しかし先ほどの写真を見たことにより、嫌いな理由がはっきりと分かる。










(あたし、真中淳平そのものが嫌いなんじゃない。だってテレビで始めて顔を見たときは・・・むしろドキドキしてた・・・)





(あたしが嫌いなのは・・・幸せそうな真中淳平・・・)





(さっきの写真見て確信した。東城綾と一緒に・・・とても幸せそう・・・)





(ううん違う。真中淳平は嫌いじゃない。あたしは東城綾が嫌い・・・て言うか、妬ましいんだ)





(あたし、東城綾に嫉妬してる。だって真中淳平が幸せそうに東城綾の話をしてる時に限って、あたしは嫌な気分になってたもん)





(でも・・・なんで?あたし真中淳平に会った事ないのに・・・なんでこんな思いになるの?)





(何で東城綾に嫉妬するの? それに嫉妬するってことは・・・)





(あたしは・・・真中淳平が・・・好き?)





理沙は自らの想いが全く理解できず、ただ戸惑っていた。






























その日の夜、東京のレストラン。


高層ビル最上階からの夜景は格別であり、客のほとんどが眼下の瞬く光に心奪われている。


そんな中に、一組の有名人カップルの姿があった。





「やだなあ。こんな写真が載っちゃうなんて・・・」


綾が座るテーブルの上には理沙たちが見たのと同じページが広げられている。


「でもこの写真、隠し撮りの割にはよく撮れてるよなあ。表情もいいし・・・マジで家族連れにしか見えないなあ」


向かいに座る淳平は笑顔で写真を見つめている。





淳平が誘った夜のデート。


雑誌の発売が偶然重なったので、当然のごとく話題はこの記事になる。


もっともスキャンダル記事ではないので、ふたりの表情は明るい。





「でも、『結婚間近』と『未来の姿』は間違いだよね。まだそんな話はないし、それに子供も・・・」


雑誌をしまう綾の表情に寂しさの色が現れる。





淳平はそれを見逃さなかった。


「綾・・・これを受け取ってくれないかな?」


淳平はポケットから小さな青い箱を差し出した。





「淳平、これ・・・」


一目で、それが指輪のケースだと分かる綾。


心の動機を抑えながら、綾は小さなケースを手に取り、そっと蓋を開ける。





「わあ・・・」


小さな宝石が綾に向けて幸せの光を放っている。


「それを身に着けてくれないかな? その・・・左手の薬指に・・・」


「・・・」


「ま、まだ半人前の俺には早いかもしれないけど・・・でももうこれ以上待てないんだ。これ以上もたもたしてたら、もっと綾を苦しめるような気がして・・・だから・・・」





「・・・婚約、しよう・・・」










綾はただじっと指輪を見つめていた。


指輪の光と、淳平のプロポーズ。


いっぱいの幸せに包まれ、こみ上げる衝動が抑えられない。


だが・・・





「ありがとう・・・凄くうれしい・・・でも・・・あたし・・・」


指輪から目を離し、うつむく綾。


「あたし・・・淳平の子供・・・生めないんだよ・・・あの時・・・勝手な事して・・・」


悔やんだ想いが詰った悲しみの雫が、綾の瞳から滴り落ちる。















半年前、綾は執筆活動に追われ多忙を極めていた。


だがその時の身体はとてもそんなハードスケジュールをこなせる状態ではなかった。


その1ヶ月ほど前、体調の変化に気付き病院を訪れた際、





『おめでとうございます。現在7週目ですね』


と、妊娠を告げられた。





もちろん父親は淳平であり、綾は小さな命を宿した事を喜んだのだが、それ以上に不安のほうが大きかった。


当時の淳平は難しい映画制作の真っ最中で、綾にもほとんど連絡をせず、それに没頭していた。


そして綾もまた、ハードスケジュールに終われる日々。


(淳平に報告しなきゃ・・・でも、彼は今とても大切なお仕事をしてる・・・ひょっとしたらその妨げになっちゃうかも・・・)


(他の誰かに相談したら『すぐに報告しろ』って言われるだろうし・・・あたしが口止めしても多分彼に伝わっちゃう・・・)





結局、綾は誰にも相談することなく、しばらく妊娠を隠す事に決めた。


だがそれは普段どおり振舞うということであり、しかもスケジュールがより一層厳しくなることも重なった。





結局、無理がたたって、綾は倒れた。


救急車で運ばれ、搬送先の病院で意識を回復した時には・・・





子供は流産し、胎盤は致命的なダメージを背負ってしまっていた。





綾が倒れたのを聞いた淳平は血相を変えて病院に駆けつけた。


綾本人が無事だと聞いてほっと胸をなでおろしたが、そこで倒れた原因と結果を知ると、





『ふざけるなあ!! なんでそんな大事な事を黙ってたんだ!!』


青筋を立てて綾を怒鳴りつけた。





淳平からしてみれば綾の取った行動はあまりに身勝手で、淳平をバカにした行為だった。


しかもその結果、ひとつの小さな命を失っている。


いくら女性に優しい淳平でも、とてもじゃないが簡単に許せる行為ではない。


この日からふたりの距離は一時的に離れて行き、そしてまたさつきへの浮気の一因にもなっていた。















「綾・・・」


淳平は綾の手を取り、指輪のケースと共に自らの両手でやさしく包んだ。


「前にも言ったと思うけど、起きた事を悔やんでももう仕方ないんだ。大事なのは、俺たちがこれからどうするか、だろ?」


「淳平・・・」


「俺にとって綾は世界で一番大切な存在なんだ。そんな綾に、もうあんな苦しい思いはさせたくない。だから、ふたりで一緒に歩いて行きたいんだ。楽しい事、苦しい事、全部ふたりで分かち合って行こうよ。もうひとりで抱え込まないようにさ」


淳平は愛がいっぱい詰った優しい微笑を綾に向ける。





綾はずっと泣いたままだったが、最初は『悲しみと後悔』の涙だったものが『幸せと喜び』の涙に変わった。


それが、綾の微笑みに表れる。


「淳平ありがとう・・・あたし、淳平について行く。ふたりで、一緒に歩いて行こうね」


涙でくちゃくちゃだが、幸せいっぱいの微笑。





「ありがとう・・・  は〜〜っ、よかったあ。断られたらどうしようかと思ったよ!」


大きく息を付き、これで淳平の表情から緊張が消えた.。


心の底からの微笑みに包まれるが、ムードはぶち壊しだ。


「もう、淳平ったら・・・」


綾も半分呆れ顔だが、そう話す笑顔はとても楽しそうだ。


このように着飾らない淳平が綾にとってはとても大切であり、心休まる存在なのだから。





その後、笑顔のふたりはワイングラスを鳴らした。


綾の左手の薬指には、幸せの光を放つ小さな石が輝いている。


(俺はこの光を絶対に守り続ける。つかさ、天国から見守っててくれよな)


窓の外の夜空を見上げ、天に住むかつての恋人に幸せを祈る淳平だった。

























そして時は約1ヶ月流れ、


理沙は忙しい日常を送っていた。





これから観光シーズンを迎えるので客が増え、1年で一番忙しい時期が訪れる。


この時期は忙しい1日を終えるとすぐに布団に入る日々が続いており、理沙は世間一般の情報からはかなり疎くなっていた。


『東城綾が婚約指輪を身に着けて公の場に姿を現す』という小さな芸能ニュースなど、理沙の耳には全く入っていなかった。





「ふう・・・」


ある日の昼下がり、理沙は客の居なくなった店内でひとり息をつきボーっとしていた。


いつもは昼時を過ぎればぱったりと客足が途絶えるが、今の時期はぱらぱらと客が続き、このように誰も居なくなる時間が2時間ほどずれ込む。


つまり理沙の昼休みが2時間ずれ込む事になり、いくら若い身体でも結構きつくわずかな時間の休息でも、今の理沙は無駄に出来ない。


でもそんなわずかな休息も、





ガラッ





店の扉が開けば終わる。





「理沙ちゃ〜〜ん、なんか食わせて〜〜」


常連客が3人、疲れた顔をして入ってきた。


「あらいらっしゃ〜〜い、今日は遅いね?」


「いやあ、お客がずっと続いてさあ、全然昼休みが取れなかったんだよお」


「今年は暑いから滝に来る観光客が多いからさあ、俺たちもメッチャ忙しいよお」


「普段そんなに働いてないから今の時期はきついなあ。まあこれも滝神様の恵みだから贅沢はいえないって分かってはいるけど、もう少し楽になりたいなあ・・・」


常連客はそれぞれが慣れない忙しさを口にしながら、ぐったりとテーブルに着いた。





「この時期はみんな忙しいの!暑くて大変だけど、泣き言こぼしてちゃだめだぞっ!!」


理沙はグラスに入った氷水を配りながら客に笑顔で激を飛ばす。


「あれ?おばさんは?」


「淳也のお迎えと買い物。だから人が居ないんでセルフサービスにご協力お願いします!」


さらに理沙は氷水が入った大きな水差しをドンと置いた。





普段の接客は理沙の母が受け持っているのだが、母が居ない時は理沙が全てを行うことになる。


本来なら客に呼ばれたら水を注ぐのだが、料理を作っている時はそれが出来ないので水を注ぐのは客のセルフサービスになるシステムだ。


常連客はもちろん承知しており、いやな顔をせずにいつものメニューを注文した。





「さて、ぱぱっと済ませるか!」


理沙が厨房に入り注文の品に取り掛かろうとした時、





ガラッ





再び扉が開く音が耳に届いた。


「理沙ちゃ〜〜ん、お客さんだよ〜〜」


さらに常連客の声。





(ええ〜〜〜っ、うそ〜〜〜〜っ!?)


こんな時間はずれに来客が重なる事はほとんどない上に、しかも今はひとり。


心の中で悲鳴をあげながらも、理沙は落ち着いて来客数分のグラスを用意する。





客は年輩の夫婦とその娘のように見える若い美人の女性で、ひと目で観光客だと理沙は見抜いた


「いらっしゃいませ」


『観光客用』の笑顔で挨拶をする理沙。


もともと人当たりは良く、東京の物産展でも評判が良かった笑顔。


厨房に入る前は接客担当だったこともあって理沙の接客は評判が良く、客からのクレームはほとんど無いのだが、


この客は理沙が原因で騒ぎを起こした。










「きゃああああああああああああっ!!!!!!」










突如、若い女性が悲鳴をあげる。





理沙はもちろん、他のテーブルに居た常連客、さらには女性の両親も驚いた。


(えっ、な、なになに!?)


軽いパニックに陥る理沙。





「唯、どうした!?」


「唯ちゃんどうしたの?突然叫んで・・・なにがあったの?」


両親が心配そうに娘に寄り添う。















「お・・・      おば・・・   け・・・  ・・・   ・・・」





その女性は理沙を指差し、怯えた目で見つめていた。















(お化けって・・・   あたし?)





女性の怯える理由が分からず、理沙の頭の仲は真っ白になっていた。



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