C-3 - takaci 様
「いらっしゃい」
店主と思われる、優しそうな顔をした男性がカウンター越しに話しかけてきた。
見た目の印象では40〜50歳くらいだろうか。
「こりゃ珍しい。かわいいお客さんだねえ。何か探しものかい?」
店主らしき人は目を細めながら、ふたりにそう話しかけてきた。
「あっ、えーっと・・・小宵ちゃんどうしよう・・・」
名央はおずおずと小宵の後ろに隠れてしまった。
小宵も驚いて戸惑っていたが、幸いにも店主らしき人の見た目が柔和だったので、恐怖感はなかった。
あゆみに迫る財津操に比べれば、見た目の脅威は無いに等しい。
小宵は勇気を振り絞って切り出した。
「えっと、クラスメートの男子にある問題を出されてるんです。友達と一週間かけて調べたんだけど全然分からなくて・・・それで、その男子がこのお店の袋を持ってたのを思い出して・・・」
「へえ、お嬢ちゃんたちと同じくらいの男の子かい?名前なんていうの?」
「あ、佐藤くんって言って・・・」
「ああ、あの佐藤さんとこの坊主か!」
店主らしき人の目が輝いた。
「えっ、知ってるんですか?」
驚く小宵。
「こんなちっぽけな店だけど、一応店長だから馴染みのお客さんの名前と顔は覚えてるよ。それに佐藤さんの坊主は変わった趣味してるから良く覚えてる」
「変わった趣味?」
「ああ、あの坊主は自分が生まれる以前のレーシングカーが好きなんだよ。アレくらいの年代の子なら、今リアルで走ってる車が好きになるんだけどね」
やはりこの男性は店主だったようだ。
店主は佐藤のことを楽しそうな表情でそう話した。
「ねえ小宵ちゃん、じゃああの問題も古い車だったのかな?」
背後の名央がそう話しかけてきた。
「う〜ん、小宵はそんな気はしないよ。あれで合ってたと思うんだけど・・・」
そう答える小宵も自信は無さげだ。
「ところで、あの坊主にどんな問題を出されたんだい?」
店主は興味深そうな表情で尋ねてきた。
「えっと、R10TDIって車と、それが『間違ってても正しい』ことを説明するって問題で・・・」
小宵はやや落ち着いた口調でそう話した。
「答えられたらケーキバイキング奢ってもらえる約束なんです。でもその期限は今日までだったから、もう遅いかも・・・」
小宵の後の名央が残念そうに呟いた。
「R10TDIの説明かあ。あの坊主って確か中2だったよなあ。お嬢ちゃん達もそうかい?」
「はいそうです。ところで店長さんは知ってるんですか?R10TDIのことを?」
「もちろん知ってるよ。あれは歴史的名車になりそうな車だからね。でも中2の女の子に出す問題じゃないだろ。全くあの坊主は・・・」
「「本当ですか!?」」
店長はやや呆れた顔でそう答えると、小宵と名央の目が輝いた。
「すいません、良かったら教えてもらえないですか?特に『間違ってても正しい』という意味が知りたくて・・・」
小宵がそう申し出た。
だが店主は、
「う〜ん、その意味は良く分かるんだけど、伝えるとなると難しいなあ・・・」
頭をひねってしまった。
「そうなんですか・・・そういえば佐藤くんもそんなこと言ってたっけ・・・」
目を落としながら残念そうに呟く名央。
すると店主は、
「よし分かった。わしも一応プロの端くれだ。お嬢ちゃんたちにも分かるように説明しよう!」
晴れやかな笑顔をふたりに向けた。
「本当ですか?ありがとうございます!」
ふたりの美少女は嬉しそうな表情を見せる。
「じゃあまずは百聞は一見にしかずだな。こっちに来なさい。映像を見せながら説明しよう」
店主はそう言うと、カウンターに設置されているDVDプレイヤーの準備を始めた。
しばらく後、
カウンターに設置されているモニターの画面に「Le
Mans 24hours
2006」というテロップが映し出された。
そして轟音と共に何十台もの車が駆け抜けていく。
その先頭集団に、
「あ、これR10TDIじゃない?」
名央がモニターに映し出されている車を指差した。
「そうだよ。このレースには2台のアウディR10TDIが出たんだ」
店主がそう付け加える。
ここから店主の解説が始まった。
「毎年6月にフランスでルマン24時間レースという自動車レースが開催されているんだよ」
「24時間レース?ということは1日ですか?」
小宵が聞き返す。
「そう、24時間ぶっ通しでこのコースを走り続けるんだよ」
「休憩とか無いんですか?」
「ドライバーは3人交代。その時に燃料の給油やタイヤの交換とかするけど、基本的に車は休み無しで走り続けるんだよ」
「なんか、すごい大変そう・・・」
名央がポツンとそう漏らした。
「そう、すごい大変なレースなんだ。コースも長いし速度も速い。24時間走りきるのだけでも困難なんだ。ましてや優勝となるととんでもなく難しい。トヨタやホンダですら優勝したことは無いよ」
「ふ〜ん・・・凄いんですね」
小宵や名央でもトヨタ、ホンダといった日本の自動車メーカーの名前は知っていた。
モニターは長い直線を駆け抜けるR10TDIを映し出していた。
「画面だと速度感はそんなに感じないけど、これでも軽く300キロ以上出てるんだよ」
「「300キロ!!」」
目を丸くするふたりの美少女。
そして直線の途中に設けられたクランク状のカーブを抜けていく。
「これだとゆっくりに見えるけど、ここでも100キロ以上は出てるんだ」
「「これで100キロ・・・」」
さらに驚くふたり。
そして車は緩やかに曲がっている森の中の一本道を駆け抜けていく。
「このあたりがこのコースで一番スピードが出る所。340キロくらいかな」
「さ・・・340キロですか・・・新幹線よりずっと速いんですね」
小宵には縁もゆかりも無い速度で、ただ驚くのみだ。
90度カーブが続く区間を走り抜けていく。
「ココがアルナージュって言って一番速度が遅い所。それでも60キロくらいかな」
「一番遅い所で60キロ・・・」
レーシングカーの桁違いの速度にただ驚く名央。
しばらくして曲がりくねった区間を抜けて、スタート地点に帰ってきた。
「これで1周。約13キロある。レース用のサーキットとしてはとても長い。ココを大体1周3分30秒くらいで走り続けるんだよ」
「それを24時間連続、ですよね?」
「そう24時間連続。60キロから340キロまで何度も急加速、急減速を繰り返す。200キロ以上の速度で走るカーブもある。それを24時間連続で続ける。とても過酷なレースだよ」
「確か、このレースで優勝したんですよね?」
「そうだよ。2006年は24時間で380周も走った。総走行距離で5200キロ弱だね」
「1日で、車で5000キロ以上・・・」
「なんか・・・凄いね・・・」
ふたりの美少女は驚きの表情を浮かべていた。
店主は驚いているふたりの美少女の顔を見てやや満足そうな表情を浮かべながら、
「確かにそれだけでもすごい車だよ。でもこの車の真価はそれだけじゃないんだ」
「えっ?」
「お嬢ちゃんたち、車の燃料は何か知ってるかい?」
「えっと、ガソリンですよね?」
「そうそう。ニュースでガソリン高騰とか言ってるよね!」
小宵と名央は目を合わせてそう答えた。
「そう、ガソリンだよ。世の中のほとんどのレーシングカーはガソリンで走ってる。パワーが出るし、エンジンや車体も小さく軽く出来るからね」
「ふ〜ん」
生返事で答える名央。
「レーシングカーはバランスが重要なんだ。パワーのある扱いやすいエンジン、前後バランスの取れた軽い車体、良く効くブレーキ・・・それら全てが備わってないと、こんなコースを速い速度で走り続けることは不可能だからね」
「そうなんですか。バランスかあ・・・」
小宵は映像を見て、店主の言ってることが少しだけ分かったような感じがしていた。
「でも、このR10TDIはガソリンを使ってないんだよ」
「「えっ、じゃあなんですか?」」
少し驚き、ふたり揃って聞き返す。
「軽油。ディーゼルって言葉を聞いたこと無いかい?」
「あっ少し聞いたことあります。確か環境に悪いって・・・」
「そうそう。都知事が黒いススを持って、『こんなのをばら撒いてる車はダメだ』って言ってたのを覚えてます」
美少女ふたりは元気よく答えた。
だが店長は残念そうな表情を浮かべる。
「そうなんだよねえ。日本におけるディーゼルのイメージって悪いんだよねえ」
「えっ違うんですか?」
「環境に悪いのは古いディーゼルであって、最新のディーゼルは環境にいいんだよ。二酸化炭素の排出量も少ないし、何より燃費がいい。燃料代も安いしね」
「そうなんですか?」
驚く名央。
「ヨーロッパじゃ自動車の半数はディーゼルだよ。逆に日本だと5パーセント以下だけどね。日本人は最新ディーゼルの良さを知らないんだよ」
「そ、そうなんですか・・・」
さらに驚く小宵。
「でもレースでディーゼルを使うとなると問題が多い。パワーは出るけどエンジンが重くなる。エンジン単体で100キロ以上重いんだよ。レーシングカーで最重要であるバランスが取れないんだ」
店主の表情が少し厳しくなった。
「でも、優勝したんですよね?」
「そう。間違いだらけの自分の車と格闘しながらね」
「間違いだらけの車・・・あっ!」
小宵の心にピンと来るものがあった。
「そうだよ。R10TDIはレースカーとしては間違った形なんだ。重くて扱いにくいエンジン。バランスの悪い車体。運転だって大変なんだよ。それでも優勝したんだ」
「間違った答えばかり書いても、テストで100点取ったようなものなのかな?」
小宵がそう言うと、
「お嬢ちゃんいい例えだね。そうだね、そう言えるだろうね。間違いだらけだけど、優勝という形で正しいことを証明したんだ。このR10TDIという車はね」
「これが佐藤くんの言ってた『間違ってても正しい』ってことなんだあ・・・」
名央はようやく納得の笑みを浮かべていた。
ふたりは店主にお礼を言うと、店を後にした。
「なんか嬉しいね、1日遅れちゃったけど、答え分かったね!」
名央は嬉しそうな笑みを浮かべている。
だが小宵の表情は晴れていなかった。
「小宵は知らないことばかりなんだなあって思った」
「えっ、どういうこと?」
「ディーゼルが環境にいいなんて初めて知った。たぶん世の中のいろんなこともそう。あたしの知らないことがいっぱいあるはず」
「そうだろうね」
「もっといろいろ勉強しなきゃなあって思ったなあ。学校の勉強も大事だけど、それ以外のことも・・・」
「そう・・・だね・・・」
小宵の微妙な表情が名央にまで移ってしまった。
その後ふたりは別れて、それぞれ帰途に着いた。
(少し遅くなっちゃったな。急いで帰って晩御飯の用意しなきゃ)
自然と早足になる小宵。
(世の中には知らないことがいっぱいある。あたしの知らないことがいっぱい・・・)
そう思う小宵の瞳は、期待と不安の色が織り交ざっていた。
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