「幸せのかたち」30 - takaci  


(こんな大騒ぎになっちゃうなんて・・・)


つかさは現在の身の回りの状況に戸惑っていた。





目を閉じ、手を重ね合わせ、決意をして飛び降りようとした瞬間、





【西野さん止めて!!】





「さつきちゃん?」


つかさの耳にさつきの声が届いた。


(天国から呼んだ・・・ようには聞こえなかった。下から聞こえた)


(さつきちゃん・・・生きてる?)


小宮山の電話の後、一人外に出たつかさはさつきが死んだことを確認した。


それもあってここからの投身自殺を決意したのだが、


つかさに届いた声は、『さつきが生きている』と感じさせるものだった。





「きゃーーーっ!!」


「ひ、人が居るぞお!」


そうこうしているうちに、マンションの下を歩く通行人がつかさの姿に気付いてしまった。


ごく小さく見える人影がどんどん集まり、瞬く間に大きくなっていく。


(これじゃあ飛び降りれない)


このまま飛び降りれば、下に集まっている一般人も巻き込む事になる。


見つかる前に飛び降りてしまうつもりだったつかさの計画は、この瞬間に崩れ去った。





そして現在・・・





「つかさちゃん!馬鹿な真似はやめてこっちに来なさい!!」


つかさが襲われた時に担当した、泉坂署の女性刑事の手島が必死に呼びかけている。


「つかさちゃん!!早まっちゃだめ!!」


「つかさ!!一人で悩んでちゃだめだ!!みんなで話し合おう!!な!!!」


駈け付けたつかさの両親も懸命に説得する。


マンション手前の幹線道路は警察によって封鎖され、下は物々しい雰囲気になっている。


上空は報道のヘリの音が響き渡る。


(こんな騒がしい場所で死にたくない)


(でも、だからといってもう場所は変えられない)


(それに、もう生きていたくない)


(あたし、どうすればいいの・・・)


天国への扉に手をかけながら、天使の心は迷っていた。





「つかさちゃん、お願いだからこっちに来て!あたし高いところだめなんだからこれ以上進めないのよ!」


つかさに最も近い位置にいる手島が柵越しで必死に呼びかける。


「へえ、手島さんって高所恐怖症だったんですか?」


「そうなの!今でも怖くって仕方ないのよ!つかさちゃん、そこに立ってられる度胸があるなら絶対に生きていける!!自分に自信を持って!!」


「手島さんごめんなさい。あたし、ずっと嘘ついてたんです。それで・・・人を殺しちゃったんです」


「人を殺した? つかさちゃんが?」


「つかさちゃん、どういうことなの?お母さんにも教えて!」





「あたし、『襲った人は分からない』って言ってたけど、本当は知ってたんです」


「「「えっ!?」」」


つかさの発言に手島とつかさの両親はそろって声をあげた。


この3人だけでなく、屋上にいるほぼすべての人間が驚きの表情を見せる。





「あたしを襲ったのは・・・あたしの好きな人の友達なんです」


「なんですって!?」


派手に驚く手島。


「どうしても言えなかった。言えば、彼が傷つく・・・ううんそうじゃない。ばれるのが怖かった・・・」


「怖かった?」


「ばれて・・・彼に嫌われるのが・・・怖かったんです・・・」


グリーンの瞳から涙が溢れ出す。


「だからあたし・・・逃げたんです・・・傷つくのが・・・うっ・・・怖くっ・・・て・・・」


言葉が涙で詰まる。





「つかさちゃん、でもそれは当然だと思うよ。女の子なら誰だって怖いし、あの時はショックで心が弱ってたから逃げたことをそんなに責めなくても・・・」


「でもあたしが逃げなかったらさつきちゃんは死ななかった!!美鈴ちゃんも苦しまなかった!!」


「あっ!!」


説得する立場の手島がようやくその事に気付き顔に焦りの色が表われ始めた。





狼狽するのはつかさの両親もである。


美鈴の事件、さつきの事件はつかさの両親のところで止まっており、つかさ本人には伝わっていない。


我が子を想う親の愛がそうさせたのだが、それが完全に裏目に出てしまっていた。





「あたしがちゃんと小宮山くんのことを話してたら、あれ以上悲劇は起きなかった」


「あたしのエゴで、自分がかわいくって・・・それが美鈴ちゃんとさつきちゃんをあんな目に・・・」



「あたしが・・・美鈴ちゃんを・・・傷つけたんです・・・」


「あたしが・・・さつきちゃんを・・・殺し・・・た・・・んです・・・」





上空に流れる風がつかさの髪をなびかせた。


そして頬を流れる天使の涙を夜空に運ぶ。

























「雨?」


頬に冷たいものを感じた淳平は思わず空を見上げた。


だが上空に雲はなく、微かだが星も見える。


(なんだろ?風に乗ってどっかから飛んできたのかな?)


頬を押さえながら辺りを見回す淳平。





「真中くん!早く!!」


「あ、ああ!!」


綾に呼ばれて我に帰った淳平は目と鼻の先にある、天高くそびえ立った目的地を目指した。







二人はマンションの手前で一足先に到着していた外村と合流した。


周辺は警備と屋上を見上げる野次馬でごった返しており、なかなか前に進めない。


淳平も屋上の様子を伺ったが、夜ということもあり地上から70メートル上の様子はまったく分からない。


(こっから見ててもしょうがないんだ!とにかくあそこに行かないと!!)


(西野、頼むから早まるな!俺が行くまで待っててくれ!!)


そう願いながら人ごみを掻き分けていく。







「ここから先は立ち入り禁止だ!」


必死なってここまで来たが、今度は警官に行く手を阻まれた。


「中に入れてくれ!!西野を説得に来たんだ!!」


「説得?君はいったい何なんだね?」


「俺は・・・」


警官に突っ込まれた淳平は思わず言葉に詰まる。





(俺は・・・西野の何なんだろう?)


(友達・・・いや違う。もうそんな関係じゃない。それよりは深いけど、でも彼氏ってわけじゃない)


(なんて説明すれば・・・友達じゃ入れてくれないかもしれない。でもだからって・・・)


そう淳平が迷っていると、





「恋人です!!」





(と、東城!?)


「真中くんは、西野さんの恋人です。恋人の彼なら西野さんを必ず説得出来ます!」





淳平が迷っていた言葉を、綾が口にした。


綾への気遣いもあってなかなか言い出せなかった言葉を、綾が口にした。


(東城は中に入るためにそう言ったのか?それとも本気で・・・)





「恋人!?でもそれが本当でも簡単に中に入れるわけには・・・」


警官が判断に苦しんで戸惑っていると、


「うりゃああ!!」


「うわっ!?」


なんと外村が警官を押し倒した。


「外村!?」


「外村くん!?」


「いいから早く行け!!時間がない!!」


「・・・分かった!!東城行こう!!」


「うん!外村くんありがとう!!」


二人はマンション内へと駆けて行く。


「礼はつかさちゃんを助けてからだ!!頼んだぞお!!」


外村の声に背中を押されているように感じる淳平だった。










二人は呼び止める警官の声を振り切りながら、エレベーターに乗った。


「これで屋上まで一直線だな」


(後は西野の説得だけど、なんて話せばいいんだろう?)


いつものことだが、淳平はつかさにかける言葉を何も考えていなかった。


それもあって、強烈なプレッシャーがかかり、冷や汗が滲み出してくる。





「真中くん、あとはお願いね。あたしは影で見守ってるから」


「えっ!?東城も一緒に説得してくれるんじゃないの!?」


この言葉で淳平のプレッシャーはますます強くなる。


「ここから先は恋人である真中くんの役目。それにあたしが行って西野さんが誤解したらまずいじゃない。あたしたちはもうなんでもない・・・ううん。最初からなんでもないんだよね」


「な、なんでもないって・・・ちょっと東城!?今更なに言ってんだよ!?」





「真中くんありがとう。長崎から帰ってきてから、今日まで。真中くんの恋人気分を味わえた。あたしにとって最高の思い出だよ」


「でも、それもここで終わり。真中くんは西野さんのそばに・・・」


「こんな時にそんな事言われても困るよ!そんな簡単に割り切れないよ!!」


ずっと想いを寄せ合い、何度も愛を確かめ合った綾。


綾への思いは強まることはあっても弱まることはなかった。


その綾が、今この場所で急に離れて行く。


とても受け入れられるものじゃない。





だが綾は、そんな淳平を突き放した。


「今、この場所だからよ。あたしのことは忘れて、西野さんの方へ行ってあげて。西野さんは真中くんを待ってるから」


「東城を見捨てるなんて俺には出来ない!!」


「逆だよ。あたしが真中くんを見捨てるの。真中くんの心にはずっと西野さんが居る。そんな真中くんと一緒に居るのは・・・辛かったんだ」


「そん・・・な・・・」


(まさか東城から振られるとは思わなかった)


(俺が気づかない所で東城を苦しめていたなんてぜんぜん思わなかった)


(俺は・・・馬鹿だ。 本当に大馬鹿野郎だ・・・)


力なくうなだれる淳平。





そんな淳平を、綾は再度励ます。


「そんなに気を落とさないで。元気出さないと、西野さん説得できないよ?」


「もう、俺には無理だよ。東城の気持ちに気付かなかった俺が西野を説得するなんて・・・」


「真中くん!」


綾は淳平の正面に立ち、両手で頬を優しく包み込みながら目を合わせた。


「真中くんの隣に居るべき人は西野さんなの。大丈夫、自分に自信を持ってあげて」





何度も励まされてきた、優しく、かつ強い眼差し。


力が湧き上がる言葉。


(東城ごめんな。傷付けたにもかかわらず励ましてくれて・・・)


(だから俺・・・東城の思いに応えてみせる!)


























「つかさちゃん!思い詰めちゃだめ!!これは仕方なかったのよ!!」


「つかさちゃんは何も悪くないわ!黙ってたお母さんたちが悪いの!」


「つかさすまない!お父さんもお母さんもつかさの事を思って黙ってたんだ。それがより苦しめる事になってしまって・・・」


屋上では手島と両親による賢明の説得が続いている。


風はだんだん強くなり、身体が揺れるような突風が吹く事もある。


風に煽られてつかさが転落する可能性も出てきた。


屋上にいる全員に焦りの色が見え始める。


早くつかさを助けたいが、なかなか説得はうまく行かない。


「人の命が・・・『仕方のなかった事』で済むんですか?」


「それは・・・でも今回は本当にそうとしか言いようが・・・」


「あたしのエゴがさつきちゃんを殺したの!淳平くんに・・・嫌われたくないって思ってたから・・・」


「淳平くん?」


手島にとってははじめて聞く名前だ。


「あたしは淳平くんが好き。今でも好き。本当に大好き・・・」


「でも、もう淳平くんには他の子が・・・」


「さつきちゃんを犠牲にしてまで守ろうとしたものが守れなかった・・・」









「もう・・・あたしには・・・何もない・・・」


つかさは改めて下を見下ろした。





静かに目を閉じ、祈りを捧げる。










もう、未練はない。










「つかさちゃん待ちなさい!!」


「つかさちゃん!!」


「つかさ!!」


手島と両親の声も、つかさの心にはもう届かない。















(今度こそ・・・サヨナラ・・・)
























「西野!!」





(えっ!?)


つかさの心に声が届いた。


手島でも、両親の声でもない。


ずっと待っていた、ずっと聞きたかった声。





まさに直前になってつかさは踏みとどまった。


そしてゆっくりと、恐る恐る振り向くと、





「淳平・・・くん・・・」


柵越しに見る、2ヶ月ぶりの淳平の姿がそこにあった。





淳平の突然の登場に驚いたのはつかさだけではない。


手島やつかさの両親、他の警察関係者全員が驚き、淳平を凝視する。


だが淳平はそんな目線には一切目もくれず、柵の向こう側から自分を見つめるつかさのみを捕らえていた。





「西野、頼むから死ぬなんて馬鹿な真似はやめてくれ。西野に死なれたら俺も生きていけない」


「えっ?」


「全ては俺のせいなんだ。俺がふらふらしてたから、みんなを苦しめ、傷つけ、あげくに小宮山の暴走を引き起こしたようなもんなんだ」


「じゃあ・・・淳平くんはもう・・・」


「もう、全部知ってる。小宮山もさっき、警察に捕まった。だから西野が小宮山に脅える事はもうないんだ」


「そう・・・なんだ・・・」


小宮山が捕まったことを知ったつかさの顔は幾分穏やかになった。





「俺に、西野の苦しみを分けてくれ」


「あたしの苦しみ?」


「俺は今までずっと西野に引っ張ってもらって、助けてもらってきた。だから今度は俺が西野を助けたい。西野の力になりたいんだ」


「それでまた、西野の笑顔が見たい。そうすれば俺は西野の笑顔で励まされる」


「そうやって、二人で楽しく過ごして行こうよ!?な!!」





(これってひょっとして・・・告白なの?)





心の底から望んでいた言葉が、絶望のどん底にいたつかさの心に光を照らし、ゆっくりと浮かび上がる。





だが、まだ引っかかるものがあった。





「でも・・・淳平くんには東城さんが・・・」


「東城には、今さっき振られたよ」


「ええっ!!嘘でしょ!?あの東城さんが淳平くんを!?」


つかさは派手に驚く。


つかさにとっても、綾から淳平を振るなんてことは想像もつかなかった事だ。


「本当だよ。東城に『俺の心には西野がいる。そんな俺の側にいるのは辛い』って言われたよ」


「淳平くんの心に、あたしがいる?」


「西野は俺にとってとても大切な人だ。無くてはならない存在なんだ。今こうして目の前にして、改めて感じてる」





「淳平くん・・・」


つかさは湧き上がる『歓喜の涙』を抑えられない。


心に引っかかるものもなくなり、絶望の底から急速に浮上していく。





「西野、今まで苦しめて本当にごめん。これからも辛い事はあると思うけど、俺も目いっぱい頑張って西野の力になる!」


「俺の好きな、大好きな西野のためにがむしゃらになって頑張る!!」


「だから、死ぬなんて止めよう。こっちに来てくれ。な!」


淳平はつかさに向けて手を差し出し、目いっぱいの笑顔を向ける。










「淳平くん・・・みんな・・・心配かけて・・・ごめん・・・なさい・・・」


つかさは柵に捕まりながら小さく頷いた。










「つつつつつかさちゃあああん・・・はははははやくてをだしてえええ・・・」


「きゃあっ!手島さん!?」


淳平と話している間に、手島が柵を超えてつかさの真横まで来ていた。


手島の腰には命綱が巻かれているが、全身ががくがくと震えて非常に危険な状態に見える。


高所恐怖症の手島にとっては拷問のような場所なので仕方がないといえば仕方がないが。


「手島さん大丈夫ですか!?」


「ああああたしはだだだいじょうぶうう。だだだからははやくああたしのてをおおお・・・」


「で、でもそんなに震えてると逆になんか怖いですよ」


つかさのほうが冷静である。


「じゃじゃじゃじゃあこここのいのちづなをつつつけてえええ・・・」


「分かりました!分かりましたから手島さんはじっとしててください!!」


つかさは手島の震えた手から命綱を受け取ると、それを腰にきつく縛り付けた。


そして震える手島の手を取りながら、ゆっくりと移動を始める。


助ける立場と助けられる立場が完全に入れ替わっていた。








そして、




つかさと手島の二人が柵の内側に戻った瞬間、屋上は歓喜と拍手に包まれた。


「お父さん、お母さんごめんなさい」


両親が温かく娘を抱き寄せる。





「よかった・・・」


淳平はやや離れたところでその様子を見る。


嬉しいという気持ちよりもまず、とにかくほっとした。


安堵感が広がり、力が抜けていく。





そんな淳平の肩を、警官がぽんと叩いた。


「坊主、グッジョブ!」


「なかなかやるじゃないか。見た目に似合わず色男だなおい!」


二人の警官が満面の笑みを見せる。


「へへ・・・」


淳平も釣られて笑みがこぼれた。







「淳平くぅ〜〜〜ん!!!」


「ん?」


そんな淳平めがけてつかさが走ってきた。


そして、





どーんと勢いよく淳平の胸に飛び込む。





「どわああああ!!!」


淳平は勢いに耐えられずに転んでしまった。





「に、西野ちょっと!みんな見てるって!!」


転がりながら、周りからの視線を気にする淳平。


特につかさの両親からの視線が気になるが、二人とも笑顔だったので多少気は楽になったが。


「淳平くん・・・ううっ・・・えっ・・・ぐすっ・・・」


対するつかさは周りを一切気にせずに、淳平の身体をぎゅっと掴みながら子供のように泣きじゃくる。


(あの西野がこんなに泣くなんて・・・)


淳平は改めてつかさが苦しんできたものの大きさを実感していた。





上体を起こし、つかさの華奢な身体をぎゅっと抱きしめる。


「西野、今まで苦しめてきて本当にごめんな・・・」


耳元で優しく囁く淳平。


「淳平くん・・・あたしこそ・・・心配かけて・・・ごめんなさい・・・」


「よかった・・・本当によかった・・・」


淳平もつかさに釣られて涙が溢れる。





パチパチパチパチパチパチパチ・・・


そんな抱擁に対し、屋上にいる全員からの温かい拍手が二人を優しく包み込んでいった。
























(真中くんよかったね。西野さんを大切にしてあげてね・・・)


綾は二人の抱擁を祝福すると、そのまま屋上を後にした。


「お嬢ちゃん大丈夫かい?」


年配の警官が綾を心配して声をかける。


「はい。いろいろご迷惑おかけしてすみませんでした」


警官に軽く頭を下げると、足早にその場から立ち去った。


(あの子、本当に大丈夫かな?泣いてたけど、あれは感動の涙じゃない。眼が死んでいたように見えたからなあ)


(まるで、これから死にに行くかのような眼だ・・・)





警官の思ったとおり、綾の心は絶望に満たされていた。


淳平の事を想った故に身を引いた。


淳平の幸せが自分の幸せと信じて身を引いた。


だがその辛さは、綾の想像をはるかに超えた、綾のキャパシティに収まりきらないものだった。





(早く・・・早く行かなきゃ・・・)


(今のあたしの姿を・・・真中くんと西野さんに見られたはダメ)


(エレベーターって、こんなにも遠かったの?)


大きな絶望は人の運動能力を大幅に削ぎ落とす。


今の綾は歩く事さえ困難だった。





「ううっ・・・うわあああああぁぁぁぁぁ・・・」


そんな綾はエレベーターまで辿り着けなかった。


絶望に完全に包まれた心は運動能力を完全に奪い去り、大量の涙を溢れさせる。





一人の少女に幸せが訪れる一方で、別の少女の幸せが消えていった。

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