「幸せのかたち」 3- takaci 様
ある平日の夜。
こずえは塾が入っているビルから出てきた。
(Aクラスはまだ終わらないし…一人で帰ろ)
寂しそうにとぼとぼと歩く。
同じ学校の舞がAクラスにいるのだが、講義終了時間が異なることが多いので、一緒に帰る日は少ない。
最近、こずえは淳平と一緒に帰る事が多かった。
強烈な男性恐怖症の持主であるこずえだが、いろいろあって、淳平だけは気を許せる存在になっている。
こずえの妄想の中での相手が、架空の美少年から淳平に変わっていることがその証明でもあり、また、この事は決して他の人には打ち明けられない、大きな秘密。
その妄想相手の淳平だが、今日は塾を休んだ。
淳平のいない塾は、いつの間にかこずえにとって辛く、寂しいものになっていた。
(真中さん、どうしたのかな?東城さんは「大事な用事が出来たから」とか言ってたけど…)
(でも、真中さんがいないと本当に心細いな。1人でいるのが、なんか怖い)
(こんな時に、真中さんがあたしを待っててくれたらな…そう、例えばそこのファミレスで)
(うそ…)
こずえの目はファミレスの窓際に座る淳平の姿を捉えていた。
(本当にこんなところにいるなんて…)
驚きと同時に嬉しさがこみ上げる。
店内に入って優しい声をかけたかった。
だが、
(真中さん…なんか難しい顔してる…)
淳平は険しい顔でノートらしきものを読んでいる。
めったに見ることの出来ない、淳平の真剣な顔。
気軽に声をかけにくい雰囲気を生み出すその顔に、こずえは思わず見とれていた。
他には目もくれす、じっと外から淳平を見つめるこずえ。
そのまま10分以上経過。
ふと、淳平がノートから目を放して外の様子を伺う。
こずえと目が合い、驚きの表情を見せる淳平。
だが、外のこずえはもっと驚いた。
淳平に気づかれた事を知り、あたふたと慌てだす。
(やだ、あたしったら…ずっと真中さん見てて…ど、どうしよう…)
こずえは顔を赤くして、申し訳なさそうに淳平の様子を再度覗う。
中の淳平も恥ずかしそうな顔をしているが、外のこずえを手招きしている。
(お、怒られるかな?でもこのまま帰ったら、真中さん、もっと怒るだろうな…)
そう考えたこずえは、戸惑いながらも淳平のいる店に入っていった。
「ごめん、全く気付かなかった。でも外で見てなくても中に入ってくれば良かったのに…」
こずえの予想とは裏腹に、淳平は怒っていなかった。
「ご、ごめんなさい。なんか真中さん、難しい顔してたから…」
「そっか。俺、ずっとこれ読んでたからなあ。あ、立ってないで、ほら座って!」
「う、うん」
4人掛けのテーブルに向かい合わせで座る二人。
「と、ところで真中さん、今日は何で塾を休んだんです?東城さんは「大事な用事が出来た」って言ってましたけど…」
目を伏せながら尋ねるこずえ。
本当は目を見て話したいのだが、淳平の真顔に惹きこまれていた今の状態では恥ずかしくて見ることは出来なかった。
「今年撮る映画の準備でいろいろ回ってたんだよ」
「映画、ですか?」
「前にも話したよね。俺が映像研究部だって事」
「うん。たしかノートに浮かんだアイデアをいろいろ書いてて…」
「一応、俺が監督なんだよ。で、東城が脚本を書いてくれるんだ。いま読んでたのも東城が今年の映画用に書いてくれた脚本なんだ」
「真中さんが監督!凄い…」
こずえは淳平に尊敬の眼差しを贈る。
「凄いって…そう言われるとなんか照れるな。でも俺なんかより東城のほうがもっと凄いよ。東城の書く脚本はホント素晴らしくってさ。だから俺も頑張っていろいろ準備をはじめたんだけど…」
淳平は頭を抱えてうずくまる。
「ど、どうしたんです?」
「配役で思わぬトラブルに直面して…メチャ困ってんだよ。だから大急ぎで東城に連絡して、これから緊急の打ち合わせをする予定なんだ」
その口調から、淳平の言う「トラブル」の深刻さがこずえにも伝わってきた。
「トラブルって…どんな事ですか?」
こずえが尋ねた直後、店内に二人の美女が入ってきた。
「真中くん、遅くなってゴメンね」
「よっ、マナカっち! って向井もなんでいるの?」
「あ、あたしは偶然、ここに真中さんがいるのを見つけて…」
やってきた綾と舞にしどろもどろで説明するこずえ。
「ふ〜ん。まあいいや、ちょっと詰めて〜」
二人はあまり気にせず、綾は淳平の、舞はこずえの隣に座った。
「悪いな、塾帰りで疲れているのに…」
「ううん。そんな事より、電話で言ってた『緊急事態』って、なに?」
早速本題に入る綾。
「ああ、実は…」
淳平の顔が険しくなった。
「今回、西野が出られないんだ。10日くらい前から急に長崎に行って、夏休み明けまで帰って来ないんだ」
「えっ!?な、なんで…」
綾も戸惑いを隠せない。
「向こうに桜海学園の姉妹校があって、そこに『模範生徒』として行ったんだってさ。今はそこの学生寮に入って生活しているらしい」
「で、でも…普通は夏休みに入ったら帰ってくるんじゃ…」
「なんかいろいろあって、夏休み中もほとんど向こうにいる事になるんだって。しかもその期間は向こうの学校の校則に縛られてて、こういう校外活動は一切禁止になるんだ。そこはミッションスクールで、校則がメチャクチャ厳しいって事だ」
「俺、塾に通い出してからは西野と連絡とってなくって、昨日久しぶりに携帯に掛けたら繋がらなくってさ。それで今日、バイト先のあのケーキ屋に行ったら『突然辞めた』って言われて…もうわけわかんなくってオロオロしてたら、たまたま西野の友達のトモコちゃんって娘が来て、彼女に細かい事情を聞いたんだよ」
話し終えた淳平はグラスに入った水でのどを潤す。
「そうなんだ…でもそれじゃあ…」
綾の顔も暗くなっていく。
「ああ。主役のヒロインがいないんだ。でも西野に代わる人物となるとなあ…」
再度頭を抱える淳平だった。
「でも、この主役のヒロイン、西野さんがドンピシャってワケでもないんだよね」
綾は脚本をパラパラとめくる。
「まあな。でも西野のあの演技力ならこなせる役だよ。さつきも演技は上手いけど、キャラが違う」
「恥ずかしがり屋でちょっとおっちょこちょいだけど、元気で心優しい女の子。今回のヒロインはそんな感じだよね」
「西野以外となると、俺的には東城が一番近いかなあって思うんだけどなあ」
「え!あ、あたし!?で、でも、あたし、演技はちょっと…」
綾はあたふたと慌て出す。
「分かってる分かってる!東城に頼む気はないよ!東城にこれ以上負担を掛けるわけにはいかないって!!」
「う、うん…ごめんなさい」
淳平の言葉でホッとする綾。
「別に謝らなくても…でも、マジでどうしよう…西野がいないのはホントきついなあ…」
淳平は頭を落として考え込んだ。
綾も同じように、表情は冴えない。
「映画を作るって、大変な事なんですね」
こずえはそう言うと、目の前にあるジュースのストローに口をつける。
(こんなに悩むなんて、映画を作るって凄い大変なんだ)
(でも、それをやってる真中さん、素敵だな…)
そんな事を思いながらジュースを口に含むこずえ。
(あたしも、何か手伝える事があれば…やってみようかな)
そしてジュースをテーブルの上に置き、目の前の淳平に再び目線を向けると、
「ひゃっ!」
驚きでこずえは小さく叫んだ。
「…」
「…」
目の前の淳平と綾は、こずえの顔を食い入るように見つめていた。
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