「幸せのかたち」27 - takaci  様


6月ももう終わりの某日。


約2ヶ月ぶりに、天使が泉坂の地に舞い戻ってきた。





「ふう、たっだいま〜」


旅行カバンを部屋の隅に置くなり、そのまま自分のベッドへと倒れこむ。


懐かしいベッドの感触を感じてほっとする。


そして、身体の向きを変えて仰向けになる。


見慣れた天井。


(帰って来たんだ…)


つかさは心の底から実感していた。





コンコン


「つかさちゃん。お母さん買い物に出かけるけど、いいかしら?」


母が扉を少し空けて、ベッドの上のつかさに尋ねる。


「いいよ〜〜。あたしこのままごろごろしてるから〜〜」


長い旅行から帰ってきたばかりの身体は疲労がたまっている。


動けないほどではないが、すっかりリラックスしていて動こうとする気力が無かった。


「あと、つかさちゃんの携帯も使えるようにしてくるから」


「おねが〜〜〜い」


「…リラックスするのもいいけど、あんまりごろごろしてちゃダメよ」


「は〜〜〜〜〜〜い」


(…この子全く聞いてないわね。こうなったら…)





「今夜、お赤飯炊いてあげるからね」


「それは止めてよお。今更恥ずかしいよお」


つかさはむくっと起きあがり、顔を赤くして頬を膨らませた。


「だ〜〜〜め!こういう事はきちんとしないとね!じゃあお留守番お願いね」


母は笑顔を残して扉を閉めた。


「もう…お母さんのバカ!」





(でも、お赤飯か…)


つかさの回復は早かった。


手術後2週間ほどで、妊娠前の状態に戻ったのだ。


旅行終了間際の嬉しい出来事だった。


そしてこの事は、つかさの心にも良い影響を与えていた。









プルルルルル…


ビクっと驚き、慌てて起き上がる。


つかさは怯えた眼で着信を知らせる子機に目を凝らす。





2ヶ月前、この子機で聞いた小宮山のおぞましい声が鮮明に思い浮かんでいた。


それを最後に、この子機には手を触れていない。


否応無しに思い出してしまう。


しかも…





(この電話はたぶん…あたしのカンがそう言ってる)


(もう2度と話したくないと思ってたけど…)





(あたし…逃げたくない!)


つかさはゆっくりと立ち上がり、子機を手に取った。


(落ち着いて…落ち着いて…)


湧き上がる恐怖を理性で押さえ込む。


そうする事でグリーンの瞳から怯えの色は消え、強い眼差しに変わっていた。


(よしっ!)


ピッ


「もしもし西野ですが…」





[…つ、つかさちゃん?つかさちゃんだよね!?]





同じ子機から2ヶ月の時を経て再び聞いた最初の声は、


2ヶ月前と同じ、うれしそうな小宮山の声だった。





(やっぱりカンが当たった。でも…もう大丈夫!)


怯えたのは一瞬だった。


すぐに冷静さを取り戻した。


1度は壊れた天使の羽根も、修復された羽根は以前よりも強くなっていた。





[帰ってきたんだね。本当に良かった!俺、ずっと心配してたんだよ!]


「あたしの心配するより、自分の心配をしたら?」


つかさの声に怯えは無い。


凛とした、どこか凄みのある声だった。


[えっ、ど、どういうこと?]


予想外の反応だったのだろう。


小宮山の方が慌て出した。


「1日だけ時間をあげる。自首して」


[ええっ!?]


「あなたのした事は許せない。許してはいけない。これから淳平くんやみんなと付き合っていくためにも、もちろん社会的にも。当然でしょ。今になってなに驚いてるのよ?」


[で、でも…]


「明日の朝、あたしが警察に全てを話してから捕まるか、その前に自首するか、二者択一。どっちがいいか、考えれば分かるよね?」


[そ、そんなあ…ちょっと待ってよお!?]


「あなた、前に『通報してくれても構わない』って自分が言った言葉、覚えてる?」


[そ、それは覚えてるけど…でもそれはその時の事であって…つかさちゃ〜〜ん…]


つかさに押されっぱなしの小宮山は、ついに受話器の向こうで泣き出してしまった。


(こんな情けない男に怯えていただなんて…)


小宮山の泣き声を聞いたつかさは怒りを通り越して呆れかえっていた。





「今日一日よく考えなさい。これが、あたしがあなたに与える最初で最後の優しさよ。あたしの好きな、淳平くんの友達だからここまでしてあげるんだからね」


つかさは泣き暮れる小宮山に対し、少し優しい口調になった。


ひどい仕打ちをされたとはいえ、最愛の人の親友に変わりはない。


可憐な天使であるがゆえだろう。非情になりきれなかった。





まだまだ子供の天使は気付いていなかった。


野獣に対し、この優しさが命取りになる事に…





[つかさちゃん、真中はもう東城と…]


「そんな事、とっくに気付いてるわよ!」


[えええっ!!な、なんで????]


「あたしはカンが鋭いの。今まで接してきてそれに気付かなかったの?」


[で、でもじゃあなんで?]


「単純な話。あたしはそれでも淳平くんが好き。たとえ東城さんと深い仲になってても、あたしは淳平くんが好きなの」


[でもでもでも!真中と東城はもう付き合ってるんだ!つかさちゃんの入り込む余地は…]


「道がないのなら切り開くだけ。どんどんアタックして、淳平くんをあたしに振り向かせる。諦めきれないならそうするしかないし、幸い『希望はある』って言ってるのよ。あたしのカンがね」





開き直りと言ってしまえばそれまでだが、つかさは前向きに考えていた。


ここまで来るのに、多くの苦悩があった。


だがそれを乗り越え、導き出した答えがこれである。


今のつかさに迷いはない。





「あたしは負けないよ。東城さんにも、さつきちゃんにも、他の女の子にも。絶対に淳平くんを振り向かせるから良く見てなさい…ってあなたは見ることが出来ないか」





[……ふっ…ふはははははははっ!!!]





突然、小宮山が笑い出した。


今までの形成を一気に逆転しそうな勢いがある、高圧的な笑い。





「な、何よ…なんで笑うのよ!?」


つかさは強い口調で不快感をあらわにする。


小宮山の笑いをつかさの本能は脅威に感じていた。


それに押されないための、強い口調だ。





[ははっ!!つかさちゃんのカンもたいしたことないんだなあ!!]


ずっと弱気で押されっぱなしだった小宮山が急に勢いを取り戻した。


「ひ、開き直り?この後に及んでいいかげんにしてよね!」


[開き直りじゃないさ。つかさちゃんはとても大切な事に気付いていない]


「大切な事?」


[ああ、よく聞きなよ。さつきちゃんは死んだんだ。2週間前に学校の屋上から飛び降りてな!!]





「死ん…だ?」


予想だにしなかった言葉で、つかさの頭は真っ白になった。


[ほぼ同時に起きたでかい事件に隠ちゃったからテレビや新聞ではほとんど載ってないんだよ。でもこれは事実さ。俺の作り話じゃない。なんなら調べてもらっても構わないよ。さつきちゃんと、天地が死んだことを]


「あ…天地くんって去年の合宿に来たあの背の高い男の人?」


[ああ。なんであの時間にあの場所に居たかは知らねえけど、飛び降りたさつきちゃんをかばって地面で激突したんだよ。それで一緒にあの世行きさ]


「そ…そんなバカな話信じられるわけないでしょ!そもそもあのさつきちゃんが飛び降りるなんて…」


[俺もあんな事になるとは思わなかったよ。俺は良かれと思ってさつきちゃんとヤッたのに…]


小宮山の声が暗くなる。


「ヤッたって…あなたまさか!?」


[そうだよ。真中を忘れさせるために…俺が貫いてやったんだよ!気持ち良くなってもらうために薬も用意して…でも…それでもさつきちゃんは…俺の気持ちなんか無視して…ううっ…]


なんと泣き出してしまった。


小宮山にとってもさつきの死は本当に大きなショックだったのだ。





「あなた…なんて事を…」


当然ながらつかさも大きなショックを受けた。


だがその大きさは小宮山とは比較にならない。


さつきの死ももちろんだが、小宮山が他の女の子まで襲っていた事が強烈に心を痛めていた。


[けどつかさちゃんも悪いんだぞ!つかさちゃんがさつきちゃんを除け者にしたから…]


「除け者って…?」


[飛行機のチケット、なんでさつきちゃんにも送らなかったんだよ!?]


「それは…淳平くんが迷ってるのはあたしと東城さんだったから…だから…」


[さつきちゃんも長崎に行ってたら、俺は手を出さなかった!いやそもそもつかさちゃんが逃げ出して長崎に行った事が悪いんだ!つかさちゃんが居れば美鈴を襲う事も…]


「あ、あなた美鈴ちゃんまで!?」


[あいつ、俺をボコボコにしたんだ!!腹立ったから廃工場に連れこんでひん剥いてベッドに縛り付けて思いっきり突いてやったんだよ!!!目隠しと耳栓したから俺にヤラれたのは気付いてないけど、もし気付いたらあいつも死んだだろうな。拒食症になって1ヶ月以上、今でも入院してるんだからな]


(そんな…そんな…)


度重なるとてつもない大きなショックで、つかさの瞳からは涙が溢れていた。










実は、このふたりが教われた事は警察からつかさの親には伝わっていた。


だが、そこで止まっていて、つかさの耳には入っていなかった。


つかさを気遣う親心がそうさせたのだ。


美鈴、さつきの両事件がほとんど報道されなかった事もあり、つかさは全く知らなかった。


そして皮肉にも、その結果が今になってつかさをより苦しめる事になってしまった。





「酷い…酷すぎる!!あなたは絶対に許せない!!」


[今更なに言ってんだよ!!そもそもの原因は全てつかさちゃんにあるって事が分からないのか!?]


「そんなの…言いがかりよ!!なんであたしが…」


[俺がつかさちゃんを襲った時、俺は『通報しても構わない』と言ったけど、つかさちゃんはそうしなかった!真中にばれるのが、嫌われるのが恐くって通報せずに逃げ出したからこうなったんだ!]


「うっ…」


思わず言葉に詰まった。


小宮山の考えはあまりにも身勝手でわがままなものだったが、指摘通りつかさに非があるのも確かだ。


ショックが重なって頭が回らなくなっている事もあり反撃の言葉が出てこない。


それが焦りを産み、さらに思考を低下させる。


つかさと小宮山の攻防は、形勢が完全に逆転した。





[俺はつかさちゃんに止めて欲しかったんだ。でも止めてくれなかった。だから美鈴を傷つけ、さつきちゃんを死なせちゃったんだ。全部止めてくれなかったつかさちゃんのせいだあ!!つかさちゃんが美鈴を傷つけたんだあ!!つかさちゃんがさつきちゃんを殺したんだあ!!!]





(あたしが…さつきちゃんを…殺した?)





強烈な決定打だった。


2ヶ月前と同じように、グリーンの瞳が輝きを失う。


頭の中が、目の前が真っ暗になった。


衝撃的な言葉が、つかさを絶望のどん底に突き落とした。


もう、言葉は出ない。









[つかさちゃん。俺の元においで]


小宮山の口調が急に柔和になる。


まるで現在のつかさの姿を見透かしているかのようだった。


[俺、知ってるよ。つかさちゃんが俺の子を妊娠して、墜ろしたこと]


「えっ…」


[子供は神様から授かるものだよ。俺とつかさちゃんに授けてくれた子供を、つかさちゃんが勝手に墜ろしちゃったから神様が怒ってつかさちゃんを苦しめてるんだ]


「そんな…」


[でも大丈夫だよ。また俺と結ばれて、今は無理だけどまた俺との間に子供を作れば、神様は許してくれる。つかさちゃんは幸せになれる…いや、俺と一緒にならないと、つかさちゃんは神様が許してくれないよ。一生苦しむ事になるよ]


「いや…」


[だろ?そんなのいやだろ?だったら俺の元においで!なにも心配しなくていいよ!きっと…いや絶対に幸せになれるから!!俺は笑顔で待ってるから!!じゃあまたね!!]





ツー…ツー…





小宮山は一方的に電話を切った。


そして、子機がつかさの手から離れて床に落ちた。


床の上で通話が切られないまま、子機が寂しく泣き続ける。





(小宮山くんと一緒なんて…いや…)


先ほどの『いや…』はこの意味だったのだが、小宮山は勘違いをしていた。


だが今のつかさにとって、小宮山の誤解や身勝手な幸福論はどうでもよかった。


小宮山の放った矢のような言葉が頭の中で何度も繰り返し、つかさをどんどん追い込んでいく。





傷から立ち直った可憐な天使は、獣の姿をした悪魔によって再度傷つけられた。


もう、2度と立ち直れないような深い傷を…










アタシガ…ミスズチャンヲキズツケタ…














アタシガ…サツキチャンヲコロシタ…














悪魔の魔法により、天使の心はどんどん蝕まれていく…





































「東城って、綺麗になったな」


「外村くん、いきなりどうしたの?」


「そうだよ!ドサクサ紛れになに言ってんだよ!」


「真中、そう目くじら立てて怒んなよ。俺は事実を言っただけだよ。東城からは魅惑のオーラが出てる。その証拠にすれ違う男どもは東城にくぎ付けになってるぜ」


(そう言われれば、確かに…)





今は昼休み。


映画撮影の件で黒川から呼び出された3人は職員室へ向かって廊下を歩く。


その間、男子生徒や一部の男性教員からの熱い視線が綾めがけて降り注いでいた。


外村の言う通り、綾からはどことなく大人びた雰囲気のオーラが発せられている。


(これってやっぱり、エッチしてる影響なのかな?)


隣を歩く淳平もまた、放たれるオーラに魅了されていた。


だが綾にはそんな意識は微塵も無く、恥ずかしそうにずっとうつむいたまま歩いている。


(東城、辛そうだな。こーゆーのって苦手だもんなあ)


(何とかしてやりたいけど、この状況ではどうしようもないもんなあ)


(元はといえば俺が東城を変えたんだ。その俺が何も出来ないなんて…)





「東城…ごめんな」


思わず言葉に出てしまった。





「そんな事、気にしなくていいよ」


「えっ?」


「あたし、こうして真中くんの隣に居られるだけで幸せだから」


綾は淳平に対し、満面の笑みを見せる。


(東城…かわいいよ…)


全ての苦しみを癒す微笑で淳平の心は一気に軽くなった。





「けっ!目の前でいちゃいちゃしやがって…」


愚痴をこぼす外村。


「あっ…ごめんなさい」


「わ、悪い悪い…」


「別にいいって。俺もこれから黒川先生といちゃいちゃしちゃおっと!!」


もう職員室は目の前だった。


外村は軽い足取りで職員室に入っていった。


「しつれいしま〜〜す!黒川先生いますかあ〜〜〜?」





「外村くんの好みって…?」


「さあな。あいつの事はよく分からねえ」


二人は首をかしげながら、外村の後に続いていった。












「おお真中、ちょうど良かった。お前に電話だ」


淳平が職員室に入るなり、電話の側にいた黒川が淳平を呼び寄せた。


「で、電話?お、親ですか?」


「いや違う。年輩の女性みたいだが」


「ええっ!?じゃあ誰…」


淳平が驚くのも無理はなかった。


親が学校の電話で子供を呼び出す事すら稀なのに、他人から掛かってくる事など考えられなかった。





「西野と名乗ってるぞ。真中、早く受話器を取れ」


「に、西野?」


淳平は思わず綾の顔を見た。


(あっ!)


予想通り、綾の目は不安の色を覗かせている。


(西野が学校に電話?な、なんでそこまでして…)


(いや、年輩の女性って言ってるから親かも?でも西野の親が俺宛に学校に掛けて来るなんてまず考えられないし…)


(そうなるとやっぱり西野本人?でもなんで…つーか俺はなんて話せばいいんだ!?)


一瞬の間に、淳平はいろいろな事を考えた。



「真中くん、早く出ないと…」


綾は不安の色を引っ込めて、淳平を促す。


「あ、ああ…」


流されるように淳平は黒川から受話器を受け取った。


「も、もしもし…真中ですが…」


高鳴る動悸のまま、淳平は受話器に向かって話しかける。





[あ、真中くん?つかさの母です。ごめんなさいね学校にまで電話しちゃって]


「えっ!?お、おばさん!?」


相手は、まず考えられないと思っていたつかさの母だった。


長崎に居るつかさ宛ての手紙を家に届ける時に、つかさの母とは何度か会っていた。


その時の顔が思い浮かぶ。





「あ、あの…いつこちらに帰ってきたんですか?」


[今日よ。ほんの数時間前に帰ってきたばかりなんだけど…あれ?旅行に行ってたことは…]


「はい知ってます。近所の人に聞きまして…それで…つかささんは?」


後ろに居る綾の存在が気になるが、今は逆に聞かないほうが不自然だ。


緊張でやや声がかすれる淳平。






[やっぱり、そっちには行ってないかしら?]


やや緊迫したつかさの母の声。


「えっ!?…行ってないってどういう事ですか!?」


緊迫が淳平にも伝った。





[あの子、帰って来てすぐに居なくなっちゃったの。今は携帯を持っていないからどこに居るのか分からなくって、それであちこちに電話してるの…]





「西野が居なくなった!?」


この言葉で、淳平の頭はつかさの事でいっぱいになった。


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