R「幸せのかたち」23 - takaci  


しとしとと振り続く雨。


(うっとうしいなあ。雨で濡れるし、湿気でじめじめして気持ち悪いし)


淳平は梅雨の時期特有の感覚に顔をしかめる。


(でも、美鈴はもっと嫌な気分なんだろうな…)





今日は綾とふたりで病院を訪れていた。


美鈴のお見舞いである。


『北大路の事で相当ショックを受けてんだ。正直マジでヤバイ!だから助けてくれ!!』


外村の必死の形相が思い浮かぶ。





今回、淳平は美鈴を励ますための言葉を用意していた。


だがそれがどれくらいの効果があるのか、はっきり言って自信が無い。


(これで大丈夫かなあ…)


そんな事を考えているうちに、前を歩く綾が美鈴の居る病室の扉を開けた。





ふたりとも長崎から帰ってきて以来、美鈴に会うのは初めてだ。


前に会ったときと比べ、見た目の変化はほとんど無い。


だが心に大きな傷を抱えていた。





「北大路先輩が…うっ…」


美鈴は二人の姿を見ると、さつきの名前を出して突然泣き出した。


さつきは美鈴の事を誰よりも心配し、頻繁にお見舞いに来ていた。


さつきの存在は、美鈴にとって大きな『心の支え』だった。


それを失った美鈴のショックは計り知れない。





「美鈴ちゃん、気持ちはわかるけど、いつまでも泣いてばかりじゃダメだよ。むしろ早く立ち直って、北大路さんの分まで頑張らなきゃ」


「あたしも…分かってます。でも…  ぐすっ…」


美鈴の涙は止まらない。


〔ずっとこんな調子なの。精神的に相当参ってるわ〕


若い看護婦が淳平にそっと耳打ちした。





「北大路先輩…襲われて…うっ…死んじゃった。   だから…あたしも… ひっく…」


「美鈴ちゃん、何言ってるのよ!?」


綾は強い口調で美鈴を叱る。


「ううっ…  でも…あたし…   もう生きたくない…  辛いの…  うっ…   ヤダ… 」









「美鈴、いつまでも泣いてないで、早く立ち直って俺をぶん殴れよ」


泣き暮れる美鈴を見て、淳平は美鈴のために準備していた言葉を語り出した。


「なんで…あたしが真中先輩を…ひっく」


「さつきを死なせた原因は、俺にもあるんだからな」


「「「えっ?」」」


美鈴だけでなく、綾と看護婦までもが淳平の顔を凝視した。





「さつきの奴、ずっと言ってたんだよ。『初めての相手は俺に決めてる』ってな。これは俺だけじゃなく、外村やさつきの兄貴にも漏らしてたんだ」


「もちろん俺はその事を知ってた。さつきの気持ちもわかってたけど、俺はさつきの気持ちに応えてやれなかったんだ」


「葬式のとき、さつきの兄貴に言われたんだ。『嘘の気持ちでもいいから、俺がさつきを抱いてたら死ななかったかもしれない』ってな」


「その後すぐに『すまなかった、気にしないでくれ』って言ってくれたけど、聞いた以上は嫌でも気にしちまう」


「俺も落ち込んだよ。『俺がさつきを死なせたんだ』ってな…」





しばらく間が空く。


だが、誰も声をあげない。


じっと次の言葉を待つ。





「でも、そんな俺を、東城や、みんなが励ましてくれた」


「俺も、辛い事や苦しい事を全部みんなにぶちまけた」


「俺ってプライド低いから、みっともない事でも平気で言えちゃうんだよな」


「そりゃあ恥ずかしい気持ちもあるけど、でもすごい楽になったんだ」


「それに、みんなも優しかった。『軽蔑される、嫌われる』って思ってたことも、みんな受け入れてくれた」


「俺たちは一人じゃない。みんなで支え合ってるんだ!」


「だから美鈴も苦しい事があったら、それをみんなにぶつけちゃえよ。一人で抱え込まずにさ!」


「一人じゃ苦しくて耐えられない事も、みんなで分ければ楽になるって!」


「俺たちは、どんな事があっても美鈴を見捨てない!」


「だからさ、もっと楽に考えろよ!」





またしばらく間が空く。


だが、もう淳平から発せられる言葉は無い。


(言いたい事は全部言った。これで美鈴がどう出るか…)


心身ともに冷や汗だらだらの淳平。











「お前なんかに…そんな事言われたくない…」


「へっ?」


美鈴の言葉を聞いて、淳平は奇声をあげた。


「お前とあたしをいっしょにするなあ!なんでお前なんかにあたしの全てを話さなきゃならないんだよお!!」


突然怒り出した。


(な、な、なんだ?怒り出すなんて予想外だ)


慌てる淳平。





淳平としては、自らの話で美鈴に少しでも楽になってもらおうと思っていたのだが、


どうやらずっと隠れていた『気の強い美鈴』の方を呼び覚ましてしまったようだ。


「ったく。あたしはお前に心配されるほどまだ落ちぶれちゃいないよ。いいか?すぐに元通りになってお前を徹底的に言いのめしてやるからな!」


久しぶりに聞く『美鈴節』だった。





「何だよ。やっぱかわいくねえ奴だな」


淳平も憎まれ口を叩くが、その顔は至って明るい。


「でも、いろいろ抱えていたのは事実…かな。正直、あたし自信が無い」


「自信が無いって?」


綾が聞き返すと、美鈴は素直に話した。


「襲われたときの痛みと、おぞましい感触。あれが怖いんです。この先好きな人が出来て、その人があたしを求めて来た時のことを考えると…怖いんです」


(そう…だよな。美鈴は最初にすごい嫌な思いをした。それがトラウマになったら…)


美鈴の話を聞いた淳平は表情が暗くなる。





「美鈴ちゃん大丈夫!好きな人とだったら平気だよ!とても素敵な事だよ!」


淳平とは対照的に、綾は笑顔で励ました。


「そう、なんですか?」


「うん。少なくともあたしはそうだったよ」


綾はそう言うと、脇に立つ淳平を見つめる。


「ちょ、ちょっと東城!?」


思いっきり慌てる淳平。


「ええっ!?じゃあ東城先輩、真中先輩と…」


「うん…」


「あ、あ、あ…そ、その…すみません!」


美鈴は顔を真っ赤にして綾に謝った。


「別に謝らなくてもいいって!」


綾も少し頬が赤いものの、笑顔は変わらない。








「要するに、この優柔不断で情けない男が、ようやく決断したって訳ですね」


淳平を睨む美鈴の目は、かつての鋭さを取り戻しつつあった。


「いや…まあその…俺としては、ね…」


「なんだよ、男だったらはっきり言えよ!」


「いや、俺としては言いたいんだけど…」


(俺と東城の関係をこいつに言ったら、誤解されて酷い目に遭いそうだ…)





「美鈴ちゃん、あたし達付き合ってないのよ。恋人じゃないの」


「だーっ東城!そんな事こいつに言ったら…」


慌てる淳平だが、


もう遅かった。





「おいこらあ!この後に及んでこれはどういう事だあ!?」


案の定、美鈴の怒り爆発。


目の光はすっかりかつての勢いを取り戻し…いやそれ以上かも知れない。


「誤解だ!俺は東城に決めてるんだけど、東城が受け入れてくれないの!!」


「そんな事あるわけ無いだろ!お前って男は東城先輩とそんな仲になりながら…まだ西野さんや他の女の子と迷っているなんて…」


美鈴から並々ならぬ威圧感が漂う。


先ほどまで弱りきっていた少女とはとても思えない。


(ヤッヤバイ!こいつは物理攻撃より言葉の攻撃のほうが威力が高い。だから体が動かなくても関係ないんだ!)


身の危険を感じた淳平は思わず後ずさりする。





「真中くんの言ってる事は本当だよ。あたしが断ってるの」


綾がけろっとした表情で話すと、


「ええっ!本当ですか?でもなんで…」


美鈴の怒りは収まり、関心は綾の方へと向けられた。





(ふう、助かった。東城ありがとう)


身の危険が去った事を感じた淳平は、ホッと胸をなでおろした。


心の防御を解き、気持ちを楽にする。





だが、そうするのはまだ早かった。


突然、思わぬところからの攻撃はあるものだ。





「抱かれて、初めて分かったの。真中くん、ちょっとね…」





全く予想外の、綾から淳平に向けられた機銃掃射のような言葉。


(と、東城それってつまり…)


無防備だったので大きなダメージを負った。


(あんなに声をあげてたのに…まだダメなわけ?)


(上手いとは思わないけど…俺ってそんなに下手なの?)


ガクッと肩を落とす淳平。





「あと、乱暴で荒々しいのって嫌なんだよね。真中くん、優しいと思ってたんだけど…」


機銃掃射の後、さらに手投げ弾が投げ込まれた。


激しい爆発は淳平の心を木っ端微塵に砕く。


(東城、『好きにして』って言ったじゃ…いや、あの時はそれでも優しくすべきだったんだ)


(でも優しくしてもダメなんだから、結局俺はダメ男って事なわけね…)


もはや立っているだけの気力も無い。


病室の床に両手を突いてへたり込む。










「ぷっ…あははははははははは!!!!!」


美鈴は突然笑い出した。


「み、美鈴ちゃん、どうしたの?」


「だ、だって…真中先輩がおかしくって…あはははははは!!!!!」


心配する綾をよそに、美鈴は元気良く笑いつづける。





(もう、どうでもいいよ…勝手に笑ってくれ…)


落胆する淳平に美鈴の笑い声が虚しく響く。


「おい少年、気を落とさずに頑張りな。女の子は一人じゃないって」


看護婦が淳平の肩をぽんと叩いて励ました。


だが、それには感情が全くこもっていない。


さらに虚しさが大きくなり、ますます落ち込む淳平だった。














「良かったね!美鈴ちゃんの食欲が戻って!!」


「ああ、そうだな」


病院を出た二人は雨の中、傘を差して歩道を歩く。





『なんか、お腹が空いちゃったな』


激しく怒り、大きく笑った事で美鈴は久しぶりに空腹感を訴えた。


そして淳平がお見舞いで持ってきたお菓子をぺろっと平らげる事が出来た。


病院に来る前に寄った『鶴屋』で美鈴のために作ってもらった、特製の洋菓子だ。


洋菓子は刺激が強いものが多いが、病人用に身体に優しく栄養価の高いものを、パリから帰国したばかりの日暮が2個作ってくれたのだ。


もっとも、そのうちのひとつは看護婦達に食べられてしまったが…


看護婦の間でも『鶴屋』と『日暮』の名前は知れ渡っているようだ。





お菓子を受け取りに行った時、淳平はつかさが最後にバイトに来た日の事を聞いた。





4月下旬の、台風を思わせるような豪雨の夜。


その日以降、つかさは鶴屋に足を踏み入れていない。


(あの夜の雨は今でも覚えてる。あの日に、西野は襲われたんだ)


(雨がひどかったから、帰りを急いだんだろうな。それであの公園に…)


『おい、なんでそんな日は送ってやらなかったんだよ?つかさちゃんにもしもの事が遭ったらどうするつもりだったんだ?』


『仕方ないじゃないか。あたしゃ車運転できないし、タクシーもいっぱいでなかなか来れんようじゃったし…』


鶴婆も日暮も、つかさが襲われた事はまだ知らない。


(言えねえよ。『その日に襲われて、妊娠しました』なんてな…)


鶴婆と日暮のやり取りを聞いていた時、淳平はやりきれない悲しみに見舞われていた。





もっとも、今は他の事でズトンと落ち込んでいるが…


淳平は肩を落としてとぼとぼと歩く。


「真中くん、どうしたの?」


「あ、その…なんでも無い…って訳じゃないんだけど、その…ごめんな」


「なんで謝るの?」


「いやその…さっき言ってただろ。『ちょっと…ダメ』とか『荒々しいのは嫌』とか…」


(ううっ。自分で言うとこんなに鬱になるなんて…)





「ちっ…違う違う!あれは本心じゃなくって、美鈴ちゃんを励ますために…」


「えっ!?」


「ああ言えば美鈴ちゃんが元気になると思ったから。あたし、本当はね…」


綾は当たりをきょろきょろと見まわしてから、挿していた傘を閉じた。


そして、


淳平の傘の中に飛び込み、淳平の腕をぎゅっと握り締める。


「と、東城!?」


慌てる淳平。まあ当然だが。





「この前の…激しい真中くん、すこし痛かったけど…凄く良かった。嘘じゃないよ…」


綾は顔を真っ赤にして、小さな声で淳平に伝えた。


恥ずかしそうで、そしてどこか色っぽいその表情がとてもかわいい。


「あ、そ、そっか。あの…良かったっつーか、そのなんというか…」


(そ、そうだったのか。ホッとしたよ)


(でも東城って、激しいのが好きなのか。だったら今度も思いっきり激しく…)


(いや、でも『痛かった』とも言ってるし…あーなんかムラムラして来た。東城の身体が密着して…)


本人の言うとおり、淳平は単純だ。


綾の一言ですぐに立ち直り、沈んでいた気持ちが一気に膨らむ。





「ねえ真中くん、映画の脚本についてなんだけど」


「きゃ、脚本?」


突然、映画の話を始めた綾に戸惑う淳平。


(い、いかん!エロい事ばっか考えてたらダメだ!東城に嫌われる)


気を取りなおし、綾の話に耳を傾ける。


「うん。実は新たな案が出来たの。その、今回の事でいろいろ予定が狂っちゃったでしょ?」


「ああ、そうだな。西野も美鈴も難しいし、何よりさつきが居なくなった事は致命的だ」


淳平の顔が険しくなる。


「だから、そのあたりを踏まえた上で新たな脚本を作ったんだ」


「ほ、本当?」


「うん!だからそれを読んでほしいんだけど…」


「読む読む!で、それどこにあるの!?」


淳平の目はすっかり『映画少年』に戻っている。


「今あたしが持ってるけど、その前に…」





綾はさらに強く、淳平の腕に自らの身体を密着させる。


豊満な胸の感触が淳平の腕にはっきりと伝わってきた。


「あたし…変な気分になってきちゃった。だから…お願い…」


熱っぽい、艶のある声で淳平を誘う。





(ま、まさか東城から誘ってくれるとは!?)


(し、しかもこの声とこの顔!ああダメだ…溺れそう…)


「お、俺も、東城が欲しくなってきた…」


男の本能がすっかり目覚めた淳平。


自然と息が荒くなる。


「激しいのも良かったけど、今日は思いっきり優しくして欲しいな。あたし、とろけちゃいたい…」


(大胆な東城イイ!!スゴクイイ!!!)


「じゃ、じゃあ…とろけさせちゃうからな!」


「うふふ…」


身体を密着させ、ひとつ傘の下で歩くふたり。












こんな会話をしている間に、二人は多くの人とすれ違った。


ひとつ傘の下で身を寄り添い合う男女。


しかも女の方はわざわざ傘を畳んでまでして寄り添っている。


嫌がおうでも目立っていた。





(若いって、ええのう…)75歳男性。


(私にも、あんな時代があったな…)37歳キャリアウーマン。


(ったく真っ昼間から…これだから最近の若い奴らは!)47歳会社経営者、男性。


(まあ…あんな清純そうな娘が…)41歳主婦。


(あんな若くてかわいい娘と、一度でいいからしてみたい…)51歳サラリーマン。


(あんなかわいい娘が彼女なんて、ひょっとしてあの男の子、下半身強いんじゃ…)34歳主婦。


(俺も彼女とヤリたくなってきた。あとでメールしよっと)21歳男子大学生。


(俺も、彼女欲しいなあ…)16歳男子高校生。


(あたしも…彼氏欲しい。あんな男じゃなくってもっとかっこいい彼氏が欲しいよう…)22歳OL


(死神よ、私にデ●ノートと死神の目を!寿命が半分になってもあの男を殺せればそれで本望!いやどうせならついでにあの女の子とヤレれば…そうすればたとえ寿命があと1日になってもかまわない!)29歳フリーター、もちろん男性。





すれ違った人々はこんな事を考えていたのだが、


ふたりにはそんな事はどうでも良かった。





ただ愛したい。





ただ愛されたい。





それだけである。





この後ふたりが甘く、熱い情事を行ったのは言うまでもない…


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