R「幸せのかたち」20 - takaci 様


数時間後


淳平と綾は地下鉄出入口の階段を登る。


さつきが搬送された病院はこの出口から目と鼻の先だ。





「東城、大丈夫?」


淳平は後ろを歩く綾を気遣う。


綾の足取りが今朝からずっとおかしいのだ。


「ごめんなさい。いつも通りに歩けなくって…」


(天地の事…相当ショックだったんだろうな…)





『たった今、天地が死んだ』


長崎から帰る機内の中で、外村がこの訃報を伝えた。


淳平も動揺したが、綾の動揺はそれ以上だ。


「あたしは大丈夫…大丈夫だから。それより北大路さんのほうが…」


機内の綾は気丈に振る舞ったが、それが逆に痛々しい。


(天地は東城のことがずっと好きだった。その天地が死んで、東城が平気でいられるわけがない)


(俺もそれなりにショックだったけど、東城のショックはデカイな。足にも表れてるし…)


淳平は綾の足取りがおかしい事の原因を、天地の死であると推測していた。





「東城、もう少しだから頑張って!」


綾の手を取る淳平。


「うん。ありがとう」


二人は手を繋いで階段を登る。





「真中、東城!」


出入口のすぐ側で待っていた外村が二人を呼ぶ。


「外村!?」


「行くぞ!話は向こうでだ!」


外村は二人を手招きすると、病院に向かって走りだした。


「東城、走れる?」


「うん、大丈夫」


「よし、じゃあ行こう!」


淳平は綾の手を取りながら、外村の後を駆けて行く。








3人は裏口から院内に入った。


正面出入口は報道陣と天地およびさつきのファンで一杯だ。


その中で天地ファンと思われる女子生徒が何人も泣いていた。


(でも…さつきは助かって欲しい!そもそもさつきが飛び降りなんて考えらんねえよ!)


(あのさつきの事だ。俺が行ったらベッドから飛び起きて俺に抱きつくんじゃないのか?)


外村の背中を見ながら、事実から目をそむけようとする淳平。





信じたくなかった。












外村は二人を病院のICU(集中治療室)へ連れてきた。


入口で手続きをして、3人は中に入る。





(さ、さつき?)


入った瞬間、信じられない光景が飛び込んできた。





ガラス越しの部屋の向こう側で、ベッドに横たわるさつき。


頭部にカバーが付けられ、美しいロングヘアーは姿を見せていない。


鼻と口を覆う酸素吸入の物々しいマスク。


周辺の機器から伸びたいくつものケーブルがさつきの身体に繋がっている。


ベッドを取り囲む数人の医師や看護士の慌しさがガラス越しでも伝わってくる。


「さつき…」


淳平は、事態の深刻さを改めて思い知らされた。


「北大路さん…」


綾の目からは既に涙が溢れ出そうとしていた。





淳平と綾の二人がさつきの様子に目を奪われている間に、外村は部屋にいたさつきの両親に淳平と綾のことを話していた。


「さつきの父です。娘が日ごろから迷惑かけとったみたいで…」


「あたたの事はあの子からちょくちょく聞かされました。今まで本当にありがとう…」


さつきの両親は沈痛な面持ちで淳平に挨拶をする。


「真中…淳平です。俺もさつき…さんとは仲良くさせてもらってて…」


淳平は挨拶をしながら、さつきの両親の言った言葉が引っかかる。


(なんだよこの言い方。まるでさつきがもうダメみたいな…)


両親と、兄と思われる人物の悲しみに満ちた表情が、淳平の不安をさらに加速させていた。






「真中、東城、状況を説明しておく」


無気質な外村の声。





ドクン

ドクン

ドクン

ドクン





早鐘を打つ心臓。


わずかな時間が、何倍にも感じる。





じっと、次の言葉を待つ淳平。


それは、綾も同じだった。














「北大路は、もう…ダメだ」


今度は、声の中から悲しみを感じた。


あえて冷静に振る舞おうとした外村だが、それも限界だった。








「ダメって…どういう事だよ?」


淳平の声が震える。


予想していなかった、いや予想はしていたのだが、最も受け入れたくはなかった事実。





「頭部への衝撃で、脳の損傷が激しいんだ。もう…回復の見込みはない」





「それってつまり…さつきが死ぬ。そういう事なのか?なあ外村!?」





「…ああ」





「そんな…北大路さん…」


泣き崩れる綾。





「じゃあなんだよ!俺たちはここで指をくわえて黙って見てろって事なのかよ!!」


淳平は外村の胸グラを掴み、荒々しく叫ぶ。


「もうどうしようもないんだ!手の施しようがないんだ!!」


「ふざけんなあ!さつきが死ぬなんてそんな事あるわけねえ!!最後の最後まであきらめんなあ!!」


「俺だって何とかしたいよ!けどこれが現実なんだ!!受け入れるしか…ないだろお…ぐっ…」


外村の声が涙で詰まる。


「俺は諦めねえ!!最後の最後まで諦めねえぞ!!」


「いい加減にしろよ真中!!お前が騒ぐほど…家族が… 悲しむんだよお…」


この言葉で真中ははっと気付いた。





さつきの家族はみな、黙ってうつむいている。


まだ小さい弟、妹までも。


(そんな…家族だろ?)





(一番、諦めることが出来ない家族がこんなんって事は…)





(もう…   本当に…  ダメなのか…   )





絶望と脱力感が淳平を襲う。





その場で、力なく膝を付いた。





「…さつきぃ…」





力が抜けたことで、こらえていたものが溢れてくる。





涙が、止まらない。













『おい、どういうことだ!?』


『信じられない…脳波はもう…』


「ん?」


ガラスの向こう側で、医師や看護婦が慌てている姿が淳平の目に入った。


(何が…あったんだ?)


「おい!北大路の口が動いてるぞ!!」


外村が叫んだ。


よく見えないが、確かにさつきの口が小さく動いているのが分かる。


「おい!開けろ!!」


さつきの兄らしい男が、ガラスの向こう側に通じる扉を激しく叩いた。


『ダメです!これだけ大勢の人が一気に入ったら雑菌が…』


「うるせえ!てめえらは家族に最後の声を聞かせねえ気か!?」


「お願いします!最後に娘の声を」


「「お姉ちゃんの声を聞かせろ!!」」


家族が一丸となって、扉の向こう側に訴える。





(どういうことなんだ?爺さん婆さんじゃないんだ。そんな簡単に、さつきの死を受け入れられるものなのか?)


さつきの家族の光景が、淳平には異様に思えた。


その家族は開かれた扉の中に入っていく。


中の医師が許可を出したようだ。





「おい真中!俺たちも行くぞ!」


「真中くん、立って」


「あ、ああ…」


淳平たち3人も、さつきが待つ部屋へ入っていく。









「さつき!お父さんだ!分かるか!?」


「さつきちゃん!何が言いたいの!?」


「さつき!」


「「さつきおねえちゃん!!」」


家族全員が、ベッドのさつきに声をかける。





「さつき、なんかしゃべってる」


「うん」


小声で話す淳平と綾。


薄緑色の透明な酸素マスク越しに、さつきの唇が動いているのが分かった。


「信じられない…脳波は動いていないんだぞ」


医師たちは驚愕の声をあげている。


「ま、マジだぞ。北大路の脳波、本当に止まってる…」


さつきに繋がれた計器を見て驚く外村。


「おい外村、それってどういう事だよ?」


「脳が止まってるのに、しゃべるなんて有り得ねえんだよ!」


「でも、さつきはしゃべってるぜ?」


「こんなこと…奇跡としか言いようがないぜ…」


「奇跡?」


「そうだね。神様がくれた、奇跡なんだろうね…」


綾は、さつきと両親のやり取りをじっと見つめながら呟いた。





「おい!早く来い!さつきがおまえを呼んでる!」


兄が淳平を呼ぶ。


「えっ!?」


その声で、淳平はその場からぽんと飛び出した





家族の間を掻き分けてベッドの側にたどり着くと、両親はさつきの手を差し出してくれた。


その手を握り、優しく且つ、力強い声をかける。





「さつき!」





「さつき俺だ!真中淳平だ!」





握る手にぎゅっと力がこもる。








(あっ!)


ピクピクっとさつきの唇が動いた。


慌ててさつきの口元に自分の耳を持っていく。





シンと静まり返る部屋。



















「…ま…」



















「…な…」



















「…か…」



















「…し…」



















「…あ…」



















「…わ…」



















「…せ…」



















「…に…」



















…真中、幸せに…











これが、さつき最期の言葉だった…


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