「幸せのかたち」 1- takaci 様
豪雨の夜から3日
つかさはようやく自らの部屋に戻ってきた。
最も落ちつける『自分の空間』
だが、今のつかさは、その場所でも心が晴れる事はない。
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3日前。
目が覚めたら、見なれない天井があった。
金属製のスタンドと、それに掛かる点滴。
点滴から伸びる管は、自分の左腕に繋がっている。
手術時に患者が着るような青い服を身にまとっている。
(あたし…どうしたんだろう…)
「つかさちゃん!つかさちゃん!!」
耳馴染んだ、心がホッとする声。
目を向けると、必死になって励ます母の顔があった。
その後ろには心配そうに見つめる父の顔も。
「お父さん…お母さん…」
「つかさちゃん!もう大丈夫だから!何も心配しなくていいから!ね!!」
「つかさ、今はとにかく何も考えずに休め!な!!」
両親は無理に作っているような笑顔で励ます。
(お父さん…お母さん…???)
状況が飲みこめないつかさ。
起きあがろうとしたが、身体がいう事をきかない。
唯一、動かす事の出来る右腕を上げた。
(!!!)
右手に付く、太く、赤いあざが目に入る。
太い縄のような物できつく縛られた痕だった。
「あ…ああ…」
大きく見開くグリーンの瞳。
そこから溢れ出す涙。
恐怖に引きつった顔。
震える身体。
あの惨劇が、
自らを見下ろす小宮山の獣の眼が、
素肌を直接冷やす激しい雨の感触が、
そして、
小さな白い身体を中心から引き裂かれるような痛みが、
鮮やかに蘇った。
「つかさちゃん!今は何も考えちゃダメ!!」
母はつかさの右腕を掴んで下ろし、震える我が子の身体を優しく抱いた。
「お母さん…あたし…」
「いいから!今は何も考えずに、楽にしなさい」
「つかさ。悪い夢だったんだ。そんな夢は、忘れるんだ。な?」
あくまでも優しく接する両親。
そんな両親の姿が、つかさにとって嬉しくもあり、また、悲しくもあった。
考えたくなくても、考えてしまう。
忘れたくても、忘れられない。
脳ではなく、心に刻み込まれた、辛い現実。
そしてそれが、両親に多大な迷惑をかけてしまった事。
否応無しに感じさせられたつかさだった。
「ごめんなさい… お父さん… お母さん… ごめんなさい… 」
泣きながら両親に謝った。
ただ、謝った。
「なんでつかさちゃんが謝るのよ?つかさちゃんはなにも悪くないわ!」
「そうだ。つかさは何も悪くない!悪いのはつかさを…」
「あなた!!」
「あっ!?」
母が父に厳しい視線を送る。
動揺する父。
気まずい雰囲気が流れた。
「ごめんなさい… ごめんなさい… ごめんなさい… 」
つかさは、ただ謝りつづけた。
泣きながら、ただ、謝りつづけた…
ずっと…謝りつづけた…
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当初からはかなり落ち着いたが、以前のような明るさは影を潜めている。
一時は、自殺も考えたほどだった。
だがそれは、両親の温かい励ましで、
両親からの「愛」を感じて、
とどまる事が出来た。
(忘れよう。何もかも…)
つかさはそう考えていた。
プルルルルルルル…
家の電話が鳴る。
母は買い物に出かけているので、今この家に居るのはつかさひとりだ。
部屋の子機を取る。
「もしもし西野ですが」
[泉坂署の手島と申します。あ、ひょとしてつかさちゃん?]
「あ、はい。今日、退院しました」
[良かったあ。退院おめでとう]
「いろいろご心配おかけしました」
公園で無残に放置されたつかさの身柄は巡回中の警官に発見され、病院に搬送された。
その後、比較的若いこの女性刑事がつかさを尋ね、ちょくちょく病院にもやってきていた。
[とにかく今は、自分のことだけを考えて。元に戻る事が大事だから。忘れちゃうのもいいと思う]
「はい」
[でも、もし振り返る余裕が出来たのなら、少し考えて。そして何か思い出したら、あたしたちに教えて欲しい。他の娘をあなたのような目に遭わせるわけにはいかないの。身をもって体験したあなたなら、分かってくれるとは思うけど]
「はい。でも今は…」
つかさの口調が重くなる。
[あ、いいのよ!いまは無理しないで…ごめんなさい。思い出せちゃって…]
受話器の向こうで女性刑事は申し訳なさそうに謝る。
「いえ。こちらこそすいません。でも、本当に分からない。相手に、全く心当たりが無いんです」
[うん。よくわかってるから。こちらでも調べてみるから、何かわかったら連絡するから。じゃあね]
「はい、失礼します」
つかさは電話を切った。
子機を持つ右手が力なく垂れ下がる。
(刑事さん、大丈夫ですよ。小宮山くんはあたしだけを狙った。だから他の娘は、傷つかない)
小宮山のことは警察に知らせていない。
(小宮山くん、淳平くんの名前を何度も口にしていた。このことが知れたら、淳平くんが傷つく)
(だから淳平くんに知られるのは絶対ダメ。小宮山くんの事も…あたしの事も…)
つかさは自分の首もとに手を当てる。
(そうだった…)
その手は無意識でいちごのペンダントを探していた。
最愛の人の事を考える時、つかさの手は自然とここに行く。
でももう、その「絆の証」はそこには無い…
「淳平くん…」
孤独感を感じたつかさの眼は、悲しみの色が強くなっていく。
プルルルルルルル…
右手の子機が着信を知らせる。
反射的につかさは通話ボタンを押した。
「もしもし西野ですが」
[つ、つかさちゃん?]
子機から発せられる声を聞いた瞬間、つかさの身体は固まった。
3日前の恐怖が、
引き裂かれるような痛みが
克明に蘇る。
[この前は、本当にゴメン…]
子機は、申し訳なさそうに謝る小宮山の声をつかさの耳に届けていた。
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