R[ever free]エピローグ1 - takaci 様
エピローグ(前編)
2006年9月16日
まるで盛夏を思わせるような強い日差しの中、
一人の青年が、深い緑の中に続く長い階段をようやく上り終えようとしていた。
「これで・・終わり・・・わあっ!?」
気が抜けたのか、最期の段で足を引っ掛けてしまい前のめりに倒れてしまった。
その際、ポケットに入れていた携帯や財布、定期入れまで落としてしまう。
「いけねいけね!!」
慌てて拾う青年。
青年はまず携帯、財布をしまい、そして定期入れを拾い上げた。
(・・・なんで証明書の写真って、こうも変になるのかなあ?)
定期入れには、青年の学生証も一緒に入っていた。
そしてこの写真を見るたび、いつもそう考えてしまう。
『学生証 青都大学芸術学部映像科 2006年4月入学 』
『真中 淳平』
そう記された学生証をポケットにしまいこんだ。
「さて・・・あと少しだ!!」
無数の墓石が佇む中、青年は目的地に向け再び歩き出した。
都心のはずれにある広大な霊園。
多数の魂が眠るこの場所は通路が迷路のようになっており、迷う人も多い。
だがここに何度も足を運んでいる淳平は、迷わず目的地にたどり着いた。
真新しい墓石が二つ並んでいる。
淳平はまず、手前の墓石に深く頭を下げた。
『西野家之墓』
ここに、つかさの両親が眠っている。
ここに来る度、頭を下げることは欠かしたことがない。
そうしてから、『目的地』である隣の墓石の前に行く。
『真中家之墓』
ここに、つかさが眠っている。
「つかさ、お彼岸は本来ちょっと先だけど、別にいいだろ?」
「それに、もう終わってるところもあるみたいだし・・・」
淳平の話すとおり、既にお彼岸の装いが終わっている墓石は霊園内にいくつもあった。
「じゃあ、始めるか・・・」
淳平は花活けを外し、墓石の埃を落とし始めた。
(こうしてると・・・いつも思い出すんだよな・・・)
墓石に水を掛けながら、淳平の脳裏にはある記憶が浮かんでいた。
2005年1月初旬、
淳平の視界に、白い天井が映し出された。
(ここは・・・天国か・・・)
(でも天国にしちゃあ・・・なんか殺風景だな・・・)
身体は全く動かず、首も僅かしか動かない。
とりあえず首が動く範囲であたりの状況を確かめる。
(金属のステーと・・・点滴・・・)
(それに・・・薬のにおい・・・)
(ひょっとして・・・俺・・・生きてるのか?)
しばらく後、女性看護士の驚いた声が耳に届いたとき、自分が『生きている』事実を理解した。
病院からの連絡を受け、両親が駆け付けるまでさしたる時間は掛からなかった。
「あんただけでも助かって・・・本当によかった・・・」
涙ながらに話す母。
「って事は・・・つかさは・・・」
警官らに発見されたとき、淳平はまだ息があったが、
つかさと天地は完全に息絶えていた。
だが唯一生きていた淳平も、出血多量で意識不明の重体だった。
その後搬送されたこの病院で懸命の治療が行われ、
その間何度も生死の境を彷徨ったが、事件から2週間以上経過してからようやく意識が戻っていた。
でも一人助かった淳平には、喜びは無かった。
「うぐぅ・・・ 俺は・・・つかさを・・・お腹の子を・・・守れなかった・・・」
大粒の悔し涙で枕を濡らした。
「なんで俺だけ・・・ 俺が死ねばよかったんだ・・・ つかさが居ないのに・・・もう・・・」
「そんな事言ったらダメ!!あんたの命はつかさちゃんが・・・守ってくれたのよ!!」
「えっ・・・」
「これがあったから・・・あんたの命は・・・」
淳平の母は『あるもの』を息子に見せた。
(そう・・・か・・・ これがあったから・・・ 俺の心臓は・・・)
(最期の最期まで・・・ つかさが・・・ 守ってくれたなんて・・・)
(それに対し・・・ 俺は・・・ 俺はあ・・・ )
「うぅ・・・うああああぁぁぁぁぁ・・・」
「あんたは生きるのよ!! つかさちゃんは・・・あんたに命を託したのよ!! だから生きなきゃダメなんだからね!!」
母は絶望に泣き暮れる我が息子を、優しく、かつ強く励ましていた。
淳平へのショックはまだまだ続いた。
事件からある程度日数が経っていたこともあり、多くの詳細が明らかになっていたのではあるが・・・
警察に『廃工場崩落』の一報が入る直前に、天地家の老執事が『自首』していた。
そしてその後の調べでも、老執事は全てを警察に話したのだが、
報道には、天地の存在は一切なかった。
天地の親族が警察に働きかけ、真実をもみ消してしまっていた。
淳平らはあくまで『事故の被害者』として、警察は処理をしていた。
もちろん淳平は反発した。
警官に激しく詰め寄った。
だが、どうにもならなかった。
圧倒的な『権力』で押さえ込まれてしまい、淳平にはなす術がない。
『こんな事になってしまうとは・・・私も想像が付きませんでした・・・』
『私も坊ちゃまをお留めしようとしましたが・・・出来ませんでした』
『坊ちゃまの黒い心はもう手が付けられないほど大きくなってしまわれ・・・さらに綾様の死で暴走してしまいました』
『ですが・・・僅かですが人の心を残しておられました。ですから私に自首しろと言って下さった。坊ちゃま本来の優しいお心は・・・皆様に対する申し訳ない心を常に抱いておりました』
『私のような老いぼれが謝ったところで・・・いやたとえ命を捧げたところで・・・真中様のお怒りは決して収まらないとは存じ上げております・・・』
『ですが・・・何卒・・・何卒お許しください・・・』
お見舞いに訪れた天地家の老執事が土下座をし、主の凶行を涙ながらに謝っていった。
これだけだったら、淳平の怒りは収まるわけがない。
だが、老執事が淳平に差し出した1冊の日記帳が、淳平の心を大きく揺り動かした。
綾の日記帳である。
(坊ちゃまが真剣に思っておられた方の日記・・・いくら命令されてもこれをお捨てするわけには参りますまい)
そう思い、天地が『廃棄』を命じていたそれを、老執事は隠し持っていた。
そしてそこには真実が明確に記されていた。
(東城が・・・端本と美鈴を殺していたなんて・・・)
(だから天地は・・・死ぬ間際にあんなことを・・・)
『地獄で待つ綾・・・』
天地が言ったこの言葉を思い出した。
(でもそれも・・・ 全て俺が悪いんだ・・・)
(俺が・・・東城をそこまで追い込んだんだ・・・)
(そして天地は・・・そんな東城の全てを受け入れようとしてたんだ・・・)
(だから、端本と美鈴を『俺が殺した』なんて嘘を言ったんだな・・・)
(天地の・・・言うとおりだな・・・)
(奴が勝って・・・俺の負けだ・・・)
理屈ではない。
感覚的にではあるが、淳平の心はそう思っていた。
そして、怒りも急速に沈んでいった。
(俺には天地を恨む資格なんてないんだ・・・)
(いやそれどころか・・・みんなから恨まれるのはむしろ俺だ・・・)
(少なくとも東城は、俺を恨んでるに違いない・・・)
(ひょっとしたら、ずっと続いてるこの『幻覚』は東城の・・・みんなの呪いなのかもな・・・)
生死を彷徨った淳平の身体も、時の経過と共に癒えていった。
だが、大きな心の病は簡単には癒えてくれない。
『綾の呪い』とも思えるような、大きな心の病は・・・
淳平はその事をずっと黙っていたが、退院が間近に迫った時になってようやく医師に口を開いた。
「幻覚・・・かね?」
「はい。ここに来てからずっと見えるんです。でも身体の異常じゃなくって心理的なものから見えてると思うんです。やっぱそういうのって精神科に行かないとダメですよね?」
「そうとは限らないぞ!そもそもそんな異常があったなら気が付いた時から言ってもらわないと!!」
医師は淳平を叱り付けた。
「すいません。でも俺はずっと、死んだ友人たちの呪いだと思ってたんて・・・」
「呪いって・・・いったいどんな幻覚なんだね!?」
「はい・・・」
淳平は医師の側に立つ二人の女性看護士に目をやった。
「例えば右の看護婦さん、あと、すれ違ういろんな女の人・・・たぶん年齢や背格好が近い人だと思うんですけど・・・」
「・・・つかさに・・・ 死んだ妻に見えるんですよ・・・ 」
「な、なんだって!?」
「ふう!」
淳平は汗でびっしょりになりながら、ようやく墓石の埃を洗い流した。
そして花を活け換え、線香を立てる。
時折、穏やかな風が吹く。
汗で濡れ、熱くなった身体には心地よい。
そんな穏やかな空気の中で、淳平はつかさに向けて静かに手を合わせた。
「幻覚の事を話したときの先生の顔は今でも覚えてる。すげえ戸惑ってて、あと・・・哀れみの目でじっと見てた」
「結局カウンセリングの先生を紹介してくれたけど・・・効果なかったし、それに俺も期待してなかった」
「その後しばらくして退院して、卒業するために学校行って試験受けたんだけど、さすがにあの時は気が狂いそうになったよ」
「だって泉坂の女子生徒全員、それにすれ違う女子高生、みんなつかさに見えたんだからな」
「だから、それ以降は一歩も外に出れなかった」
「卒業式にも出なかったし、就職もなくなった」
「まさか俺が『引きこもり』になるなんて夢にも思わなかったな」
「でも・・・親はじっと見守っててくれた」
「やっぱ親って凄いよな。幻覚の事も俺が言う前から薄々気付いてたみたいだし」
「しかもあの時期は、毎夜つかさが夢に出てきてうなされてた。その声が結構デカくって・・・メチャメチャ心配させちまってたんだ」
「そういう事もあったから何も言わなかったんだろうけど・・・けどそれが逆に辛かった」
「立ち直らなきゃ・・・って常に思ってたけど、どうすればいいのか分からない。どうしようもない」
「辛さに耐え切れず死のうと考えた事もあったけど・・・でもそう思うたびに打ち消した」
「つかさが命がけで守ってくれた・・・遺してくれた俺の命だ。そんな事じゃ失えない」
「でもそれが、余計に辛さに拍車をかけてたんだろうな・・・」
「あの時期は先の見えない真っ暗のトンネルの中をずっと歩き続けていたようなもんだった・・・」
「友達でもいれば少しは光が見えたかもしれないけど・・・もう誰もいないと思ってたし、引きこもってたから新しい友達も出来なかった」
「一人ぼっちの・・・何も見えない暗闇・・・」
「まさに・・・本当に地獄だった・・・」
ザアアアアアア・・・
爽やかな風が淳平を包み込んだ。
こうしてつかさと語り合っているとき、時折この爽やかな風が吹く。
そのたび、淳平は穏やかな心に変化していた。
「でも、トンネルには必ず出口があるんだよな」
「外に出て、光に照らされて・・・それまでずっと辛かった分、一気に開放的な気分になるんだ」
「辛さを乗り越えたとき、なんか・・・強くなった気がした。まあ事実、強くなったんだと思うよ」
「俺、ずっと気付かなかったけど、俺を支えてくれてる人がいた」
「もしその人がいなかったら、俺は今でも引きこもってたかもしれないよな」
「だから俺は・・・」
カタン・・・
(ん?)
左側に、物音と共に人の気配を感じた。
「あ・・・」
そこには、つかさと語り合う淳平の様子をじっと伺う人影・・・
はじめは驚いた淳平だが、すぐに穏やかな表情に変わっていった。
2005年7月
長かった梅雨が明け、一気に暑さが訪れていた。
「さてと・・・やるか」
淳平は洗濯機から服を取り出し、かごに入れてベランダへ向かっていく。
外に出れない淳平は、真中家の家事の大半を行っていた。
何も言わずじっと見守ってくれている両親への感謝の気持ちと、つかさを良く知るためでもあった。
僅かな期間ではあるが、つかさも真中家の家事を行っていた。
そして淳平も同じ事をして、よりつかさへの理解を深めようと考えた末であった。
もう家事を始めてから2ヶ月以上になる。
(おふくろもつかさも凄いよ。毎日こんなことをしてたなんて・・・)
最初は何をするにも手間取って、その度にそう思っていた。
だが今は慣れた手つきで手早く出来るようになり、母やつかさには到底及ばないが、料理のレパートリーもそれなりに増えていた。
(子供の声?)
ベランダで洗濯物を干していると、下から子供の楽しそうな笑い声が淳平の耳に届いた。
見下ろすと、ランドセルを背負った子供たちが楽しそうにはしゃいでいる。
(何でだ?まだ学校の時間のはず・・・)
不思議に思った淳平は時計とカレンダーに目を向ける。
(そうか、明日から・・・)
今日は終業式で学校は半日、明日から夏休みであることに気付いた。
(はは・・・俺ってもう曜日の感覚がなくなってるし、まあ気付かなくっても当然か)
洗濯物を干し終えた淳平は心の中で苦笑いしながらベランダから中へと入った。
(終業式か。そういえば高1のとき、つかさが尋ねてきたことがあったっけ・・・)
(あの時はずっとほったらかしで、4ヶ月ぶりくらいに会って・・・つかさの髪が伸びてるのに驚いたんだよなあ・・・)
(そういえば髪っていえば・・・)
淳平は近くの鏡を見た。
「すげえ伸びてる。あの頃のつかさと変わらないかも・・・」
淳平は半年ほど外に出ていなかったので、髪はかなり伸びていた。
(前髪は自分で切ってたけど、後ろはめんどくさかったからなあ・・・)
(でもこれは・・・俺ってロン毛マジで似合わねえなあ・・・)
鏡に映る今の姿は、お世辞にもかっこよくはない・・・というか見れたものではなかった。
「・・・床屋に行くか・・・」
自然と言葉が出た。
(何でだろう。外に出たくなかったからこんな風には思わなかったけど、今日は出てみたい気分だ)
ふと、鏡の側に置いてある一輪挿しに目が行く。
(今日も花が変わってる。おふくろもマメだよなあ・・・)
(それにこの花を見てると・・・なんか外に出るのを後押しされてるような・・・)
炊事、洗濯、掃除と大半の家事をこなす淳平だが、この一輪挿しは関知していない。
ほぼ毎日、花が変わっているそれは母が行っていると勝手にそう思っていた。
(まあいいや。とにかく行こう)
淳平は買い物に出かけている母親に向けて『床屋に行ってくる』と書置きを残し、数ヶ月ぶりに外に出ていった。
(すげえ・・・気持ちいい・・・)
数ヶ月ぶりとなる外の空気は、とても新鮮だった。
久しぶりに見る近所の風景。
数ヶ月前となんら変わっていなかったが、淳平の目には全てが明るく、鮮やかに写る。
(メチャメチャ気分がいいや。それに太陽の光がメッチャ最高!!)
皆が嫌がる照り付ける強い日差しも、淳平には心地よかった。
そして理髪店を出る時には、新たな軽快感が加わった。
「頭が軽い!メッチャ気持ちいい!!」
声を出して喜ぶ淳平。
(髪ってこんなに重かったんだ。こんなんだったらもっと早く切ればよかった)
(でも長い髪の女の子って大変なんだな。俺なんかよりずっと重くって、それにうっとうしいだろうし、他にも色々大変だ)
(そうそう、あの女の子達なんか・・・以前はなんとも思わなかったけど・・・)
淳平は目の前を通る長い髪の女子高生たちに目を向けながらそう思った。
(あれ?)
あることに気付き、淳平は女子高生にじっと目を凝らす。
さらに周辺を見回し、他の女子高生たちも視界に捕らえた。
(幻覚が・・・見えない!!)
そして淳平は来た道とは逆方向に歩いていった。
(見えない!!)
(見えない!!)
(全然見えない!!)
わざと遠回りをして、人通りの多い道を歩く。
多くの女子高生や若い女性とすれ違い、その度に淳平は喜びに包まれる。
一時期は全ての女子高生がつかさに見えていた幻覚が、
今はどんなに意識してもつかさの姿は見えない。
(幻覚が、直ったんだ!!)
(呪いが消えたんだ!!)
久しぶりに感じる大きな喜びだった。
照りつける日差しが自身を包み込む幸福の光のように感じていた。
喜びに打ち震える淳平は軽い足取りで自宅へと向かう。
(早く親に報告しないと・・・ずっと迷惑かけてきたからなあ・・・)
自宅のマンションが目の前に見えてきた。
そしてその下に佇む二人の人影が見える。
その一人が母だと気付くと、自然と駆け足になった。
(早く知らせて・・・おふくろを喜ばせなきゃ!)
二つの人影がどんどん大きくなっていく。
そして、もうひとつの人影も鮮明に見えるようになる。
(えっ!?)
(そ、そんな・・・)
その途端、淳平の足が止まった。
ずっと包んでいた幸福な気分が一気に消え、大きな落胆に包まれる。
それが表情に表れていた。
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