『たとえ新聞記者といえども、もし真夜中に墓場に誘い出されたなら、妖怪変化(ファントム)の存在を信じるだろう。
というのは、どんな人間でも、もし人の心の奥に深い傷跡を残すような目に会えば、みんな幻視家(ヴィジョナリー)になるからだ。
しかし、ケルト民族は、心に何の傷を受けるまでもなく、幻視家なのである。』
(「ケルト妖精物語」イェイツ編著/井村君江訳より一部を抜粋)
記憶鮮明3 記憶不鮮明編
風の空道《カゼノソラミチ》
傷付いた魂は限りない幻想を見せ
遙か遠くのヴィジョンに手を届かせる
そこに幻視の力と救済を見出せるならば
もう一度片翼たちは出逢い
一対の翼となりて天空へと飛びたてるのだろうか
たおやかな腕
しなやかな動きの脚
日に照らされ輝く髪
白磁器のように白くはあるがミルクのように琥珀の輝きを含んだなめらかな肌
生の躍動溢れた声
破顔することのない憂いを含んだ笑み
友人以上であり理解者であり希望を告げる存在
うつつにあってそれはまぼろし
夢の中で形と成す
ここより夢幻の世界
幻想の街にて彼と彼女は邂逅する
これは幻視《visual/ヴィジョナリー》と救済《salvation/サルベイション》の物語
記憶鮮明3 記憶不鮮明編 風の空道《カゼノソラミチ》
記憶不鮮明にて無題 /
或いは誰も知らない子守唄と共に彼方へ
一つになる方法を知りたいんだ
空と大地と
大氣と風と
そして君と
君なら見つけてくれるよね
夜明けの澄んだ大気に
成層圏の幾多数多の蒼いきらめきに
君が私と感じてくれたらそれは私なのだから
夕に朝に君を呼ぶよ
だからそれまでかくれんぼ
水は全ての媒介
溶けた私が世界に拡散する
みつけてくれたら一緒にダンスを踊ろう
まわる まわるよ
くるりくるり ひらりひらり
いのちのRONDOをおどろう
この胡乱なる世界が何で構築されているのか俺は知らない
きみがいないことだけは真実
もう一度この世界の果てから君を探し出すんだ
そしてそして
この世界に光を満たそう
金碧の光
黄金と青緑の輝きで
深く深く彼が行く世界は暗碧の色
暗い世界に落ちた一滴の命
すべてがここにあり同時に存在する
失われたものなど実は何もないのだ
全てのものは形を変えながらあり続けている
記憶を失い深い眠りにあるとき彼は彼女と邂逅した
その時の約束をもう一度果たすため彼は自分から深い世界へと落ちる
出会える自信や確証はない
強い強い想いが信念が指し示す方向へと彼をいざなう
彼は往く
彼は想う
再びあの金碧の輝きを見るために
ふと、ちいさな女の子は来た道を振り返った。
瞳に映るは質素なたたずまい、数件並んだ集落を出てしまえばしばらく民家もないような町外れの道。
開けっぱなしの戸口には普段も施錠はされておらず、ひさしの奥に見える居間には朝のさわやかな日差しが射している。
平坦な道だが急ぐ心に足をもつれさせ父が行ってしまった道を一生懸命走る。
昨日の夜には父はいたのだ、しかし、起きてみればその姿はどこにもない。
わがままも言えず納得いかないまま朝ごはんを食べていたのだが、祖母が台所に出かけた合間に居ても立ってもいられず食べかけの朝食を置いて家を飛び出した。
早朝の幹線道路と言えど通勤時間を過ぎた後はしばらく人通りもない。
ただ、静かと言えど閑静な都会の住宅と違い鳥や虫たちの声が聞こえるのみである。
おかあさんはびょういんににゅういんしたの
あたしのごはんはこれからおばぁちゃんがつくるの
おとうさんはおうちからおしごといくから
すこしのあいだおばぁちゃんちでおとまりするの
でも
でも
まだおはようをおとうさんにいってない
おはようといってらっしゃいをいわなきゃ
女の子は確信している。
父は絶対この道を通った。
この道を行けば絶対父に逢える。
腕を前に後ろにブンブンふり小走りにかける。
振り返っては心配するだろう祖母の顔が浮かぶ、でも家も見えなくなり駅に少しでも早く近づくために女の子は振り向くのをやめた。
食事用の淡いオレンジのチェックのスモックには大きなひまわりのアップリケ、その姿を見ればまだ箸もうまく使えない年だとわかる。
ただ一言父に言うため一人女の子は駆けていく。
街に続く道は年端の行かない幼い子に長い道のりだった。
長いガードレールが並走して続いている。
橋に差し掛かったとき後ろから大きな車の近づく音がした。
普段から父母に言われてるとおりに慌てて桟橋の手すりに駆け寄る。
少女の後ろでトラックは加速して橋を渡った。
ごぁっ
熱い排気ガスと風圧が欄干とカードレールの間にいた小さな身体を押し上げる。
・・・あ・・・
路上から少女の身体は消えていた。
少女は一瞬で自分のみに起こったことがわかった。
おちる
おちてる
かわにおちちゃう
身をすくめて目をつぶり、来るであろう衝撃に耐えようとした。
どさっ
音にすればそんな感じだろうか、冷たい水の感覚や水面の衝撃はなく、泳ごうともがく腕は空を切る。
あれ
あれれ
つめなくないし
いたくない・・・
瞳を開けると澄んだ空と心配そうに覗き込む鳶色の瞳があった。
「大丈夫?」
少女は穏やかな風のようにやさしく抱きとめられている。
その腕は決して取りこぼさないように、そして壊してしまわないように幼い彼女を抱きとめていた。
「・・・うん!」
川に落ちないとわかると元気に返事をする。
「ありがとう、おにぃちゃん!」
「どういたしまして、さて道に戻ろうか」
「うんっ!」
少年はジャブジャブと音を立てひざ上の川面をゆっくりと歩き安全な土手に少女を下ろした。
「ねぇ、どうしてかわにいたの?おさかなとり?」
「んー、そんなところかな?」
あらかじめ少年が待ち伏せしていなければ落ちてくる少女を助けることは出来だろう。
そして少年の手には網も釣道具も何も持ってはいない。
これに気付くほど少女は大人ではなく、そして今はもっと他の事に心奪われていた。
「そうかあ、わたしね、これからえきにいくの、でんしゃのところまでいくの」
「だからおにぃちゃんありがとう、さようならーっ」
ででででっと土手を駆け上がりあぜ道を一生懸命走っていく、
それでも十以上年上の少年のほうが早くあっという間に追いついてしまう。
「お兄ちゃんも一緒に行ってあげるから、始発の電車見たいんだろ?」
「いいの?いっしょにいってくれるの?」
「ああ、おんぶしてあげるから乗って乗って!」
「わー、はやい、はやーい!!!」
実際少年は風の様に速かった。
むしろ風そのものであった。
いくら人が速くても風そのものの様にスピードは出はしない、街道を走る車両を楽に追い越せることなど不可能のはずだ。
だが少年が駆ければガードレールや電柱が飴細工のように曲がり避け、木々や生垣が道を作る。
およそ人間には到底不可能なことが起こっている。
「とんでるとりさんみたーい、おにぃちゃんはやいねー」
「天馬にだってなってみせるよ、もっと早くもっと高く」
「てんまってなーに?」
「ペガサス、翼の生えたお馬さんだよ、望めばどんなものにもなれるんだ」
「わーい、おうまさんだーっ♪ぱっかぱっかはしるーおうまさーん♪」
駅までの最短距離を人外の速さであっという間に走り終えた。
まだ始発列車は駅にあった、しかし少女が無人の田舎の駅のホームに着くと同時に列車が出発した。
「あ、おとうさんだ!」
「おとーさーん、いってらっしゃーーい」
「お?おお、いってきます」
見知らぬ少年の背に居る娘を見て驚く父の顔、だが娘が懸命に手を振る姿を見て安心して手を振っている。
少年も手を振り始発列車を見送った。
「間に合ってよかったね」
「うん、よかったーっ、おとうさんにいってらっしゃいいえたよ」
「おばぁちゃん心配してるといけないから帰ろうか?」
「うんっ!」
少女は心からの笑みを浮かべにっこりと笑った。
帰りも行きと同様、風のように瞬く間に家に着いた。
その間も少女は少年の背でにこにこと微笑んでいた。
「さあ、到着〜」
「ありがとう、おにぃちゃん。あ、おようふくぬれてるからね、タオルでふいたほうがいいよ」
「いやいいんだ、お兄ちゃんは大丈夫。それよりも早くおうちに入って」
「でも・・・かぜひいちゃうよ?おようふくかわかさないと・・・」
「心配しないで、ご飯の途中だったんだろ?お行儀悪い子はだめだぞ」
「ん・・・わかった・・・」
手を引いて家に連れて行こうとする少女、しかし少年はしゃがみ諭すように語りかける。
「おにぃちゃんのなまえは?あたししらないの、ごめんなさい」
「謝らなくていいよ、西野はまだ知らなくて当たり前なんだから」
少女は近所の自分が知らないだけの誰かだと思っている。
そう思わせるだけの自然な接し方とやさしさがあるからだ。
「俺の名前は・・・うーん、そうだなあ・・・淳平っておぼえといて」
「じゅんぺいおにぃちゃんだね、わかった!」
「じゃあ、さようなら西野、この場合はつかさの方がいいかな、さようならつかさちゃん」
「またあえるよね?じゅんぺいおにぃちゃん!こんどあそんでねーっ!」
「ああ!またなぁーっ!危なくなったらいくらでも助けに来るからなぁーっ」
少女が玄関に消えてき、奥の台所に居るであろう祖母を大きな声で呼ぶ声がする。
少年は安堵し頭上の青い空を見上げた。
青い青い空。
それは水の草原とも言えるし水の結晶とも言える。
「・・・西野・・・」
ある一つの存在を求め、
ある一つの可能性を掴むため、
今は見えない、あるはずのない未来を目指して真中淳平は再び光と水の飛沫となりここではないどこかを目指した。
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