〜第一章 “石の国フェイスタ”編〜第四話 -
つね様
“偶然”
“運命”
この二つの言葉の間にある境界線はあまりに曖昧である。
たとえ偶然であっても、人がそこに運命の存在を感じれば運命となりうる。
人が運命と呼ぶものを、単なる偶然と捉えることも見方によっては十分可能である。
しかし…
歴史が大きく動くとき、
まるで初めからそれが起こることが決められていたように、
いくつもの偶然が重なっていくことがある。
それはあるものにとっては衰退・破滅への道であり、
あるものにとっては繁栄・栄光への道であるかもしれない。
あとから振り返ってみれば、
まるですべてが“その結末”に向かう為の要素であるように、
いくつもの偶然が、不気味なほどにつながっている。
そんなとき、人は“運命”というものを感じずにはいられない。
第一章〜第四話『力』
「ジュンペイさんっ!止まってください!」
コズエの必死の声が馬の足音と風の中、ジュンペイの耳に届く。
ジュンペイは本当は聞き入れなければならないその言葉に対して、今はあえて無言を貫いた。
もし、一言でも応えてしまったら、振り返ってしまったら、もう、フェイスタという国に縛られた少女を苦しみの牢獄から救い出すことなどできないと、そう感じていたからである。
「ジュンペイさんっ…!」
普段、こんなにも大きな声を出すことなど無いのだろう、コズエの声は次第にかすれ、咳き込む様子も見られるようになっていた。
コズエの必死の表情、苦しむ表情。
それを背後に感じ取ったジュンペイはグッと目を瞑った。
そして背中に直に感じる体温、そこにいる少女はどんな表情をしているだろうと思いをめぐらせる。
すがるように密着したその身体はどこか弱々しく、儚げに感じられた。
「…大丈夫。きっと守ってみせる」
自然に出ていたその言葉に、ジュンペイの身体に回されたツカサの手にグッと力がこもったように思えた。
全速力で馬を走らせ続ける二人。
前を行くジュンペイは見えない何かからの圧迫感を拭えないでいた。
そのひとつの要因がフェイスタからの追っ手に対する不安であったことは言うまでも無い。
あるいは、それは自分が歴史を動かしてしまった、という、心の奥底の形にならない自覚でもあったろうか。
―――でも、まだフェイスタには王女をつれて俺たちが逃げていることは伝わっていないはず。
そう、事実、このときはまだ、フェイスタには詳しい事情は伝わっていなかった。
王女が行方不明ということで国が大パニックに陥っていることは間違いない事実だったが。
しかし、ジュンペイはうかつだった。
彼は押しつぶされそうなプレッシャーと不安に、平常心ではいられなくなっていたのだ。
このとき、せめてもの救いはコズエがジュンペイより幾分か冷静だったことであった。
コズエは検問の周りにできた集落に入る前に、ジュンペイに呼びかけていたのだ。
フェイスタ領内で人が集まるところといえば、城内とその周辺の農村地帯、そして国境の代わりとなっている検問の近くであった。
ジュンペイがツカサを乗せた馬ごと大木にぶつかった時は、もうすでにフェイスタの中心部からは遠ざかっていた。
となると、残りの道中でフェイスタの人間の目に触れるとなるとこの集落だった。
検問を抜けるためには、第一条件としてこの集落で王女の存在に気付かれないという必要がある。
主な連絡手段が馬に乗った生身の人間による伝達であるこの世界に、すでに情報が伝わっているとは考えにくかった。
うまくやり過ごせば何の問題も無く検問までたどり着けた可能性もある。
そうすれば、残るは道の途中に木製の小さな門を構え、二人の兵士がいるだけの検問所。
同盟国同士をつなぐ検問所であったためか、さほど規模の大きくないこの検問であれば力技で突破することも十分できただろう。
しかし、コズエの声はジュンペイには届かなかった。
ジュンペイはもう、流れていく景色さえも気に留めていなかったのだ。
ただ夢中で馬を走らせる。
そして、いつの間にか、ジュンペイたちは検問前の集落に進入していた。
尋常ではないスピードで駆けていく二頭の馬にざわめきが起こる。
中にはジュンペイの後ろに乗った王女の姿に気付いたものもいたようだった。
しかし、ジュンペイは気付かない。
もう、目の前の道の外には何も見えていなかった。
馬を走らせる、そのことに、ただ、必死になっていた。
しかし、検問にたどり着いたとき、ジュンペイは自分の浅はかさを知ることになる。
急ブレーキをかけた馬が土煙を上げながら止まる。
コズエの馬もジュンペイの馬に並びかけるようにその足を止めた。
「…嘘だろ…」
ジュンペイの頭の中にあったのは粗末な門に数少ない兵士という小さな検問の図。
ところが、目の前には二十人はいようかという武装した兵士。
道を塞ぐように真っ直ぐに並び、弓を構える十人ほどの兵士。
さらにその後ろには槍や剣を持った兵士。
そしてさらに絶望するべきことは…
「うむ、おぬしの後ろにおるのはフェイスタ王女に違いないな」
ジュンペイたちが来た方角から現れ、ジュンペイたちを追い越すような形で彼らの目の前に止まった騎馬兵、二人。
…集落にいた兵士達に、ジュンペイたちの情報が伝わり、先回りされていたのだ。
ジュンペイは自分の愚かさを呪った。
泣けそうなくらいの恐怖が身体を震わせる。
まさに今、自分は死の目前に身を置いていると思うと、不思議なほどに時間の流れが遅く感じた。
ゆっくりとスローモーションのように、それでも“終わり”に向けて確実に進んでいく時間の中、ジュンペイの頭には後悔しか浮かばなかった。
コズエの声に耳を傾けていたなら…
もっと自分自身が考えをめぐらせていたなら…
もっと冷静でいられたら…
――王女を奪うなど、無謀なことをしなければ…
――――王女が苦しんでるなんて事実、知らなければ…
――――――王女に……、ツカサになんて、出会わなければ――――――
時が一斉に動き出す。
死を覚悟した瞬間だった。
しかし、目を開けたジュンペイの視界に飛び込んできたのは思いもよらぬ光景だった。
―――敵の兵士が、全滅してる…
検問の前、兵士の持っていた武器はことごとく粉砕され、使い物にならなくなっていた。
兵士はそれぞれ道の脇の木の根元や門の柱の下など、バラバラな場所に吹き飛ばされたように倒れ、騎馬兵の兵士と馬は乗り手が誰か分からないほど離れた別々の場所に倒れていた。
信じがたいその光景にジュンペイは絶句した。
彼の後ろに乗るツカサも言葉を失い、ジュンペイの身体にきつく回していた腕がだらりと垂れ下がった。
ジュンペイ、ツカサ、二人が乗る馬、コズエが乗っていた馬。
ジュンペイたちの周りだけ、何も無かったようにそのままである状況の中、
コズエが一人、地面に両手を突いて息を荒げていた。
つづく…