Summer 5.TEARS IN HEVEN - スタンダード 様
朝起きると、あるイメージが頭の中で形成されていた。
世界は直線でないのかもしれない。
この地へ来る時、電車の中で漠然と考えたあのイメージ。
それを覆すような説が僕の頭にあった。
世界は直線ではなく、運命も直線ではない。
直線は、一度交差すればもう二度と交わることはなくなる。
時間が経てば発つほど交点から離れていく。
間違いなく。
にもかかわらず人に、人の運命に、出会い、別れ、再会というサイクルがあるのは、なぜか。
運命は直線ではない。
自由に形を変える曲線だ。
僕たち人間の運命は、神の描く、もしくは神というキャンパスに描かれる曲線だ。
決して途切れることのない曲線。
様々なほかの曲線と交わり、星の数ほどの交点を作る。
交点は、友情を作り、恋を実らせ、愛を束ねる。
つまり、キャンパスの中に愛は存在する。
ゆえに神は愛であり、愛を知っている。
そして、人間も愛を理解できる。
その線が途切れるのは…
ただ死の時のみ。
そして無数の数の線によってキャンパスが黒く染まり、書ききれなくなった時、新たに張り替える。
それが歴史の節目であり、人を忘れる。
例え長生きし、長い曲線を描いた人の運命も、いつしか張り替えられるキャンパスと共に消えて無くなる。
それが忘れられると言うこと。
だから僕たちは、“決して忘れない”なんて不可能なのかもしれない。
それでもそう言い続けるのは…
思い出せるから。
例えばある人が死んで、その後キャンパスが張り替えられたのに、その故人の想い出に浸り、思い出すというのは…
神が作ったキャンパスというシステムの、素敵な失敗。
僕たちは“思い出す”という素敵な失敗を根拠に、“忘れない”という希望を抱いている。
目を開けると見慣れた天井があった。
体を起こせば祖母が笑いかけていた。
顔を洗い、着替えをすませ、旅立ちを思う。
旅立つわけではなく帰るのだが、それでも気持ちは、旅立ち、に近い。
表には西野がいた。
顔を合わせると、何も言わず駅の方へ歩き出す僕たち。
何も話す気になれない。
どうすればいいのか分からない。
いつのまにか駅に着いていた。
別れが現実味を帯びていた。
「帰りたくないな…」
情けないことに、口から出たのはそんなセリフだった。
男らしいこと一つ言えず、女の子に励まされている。
「うれしいな…でも…
ダメ…だよ。
今、こんなに近くにいても…あたしと『君』の世界は違う
同じ所にいるようで、取り巻く環境が全く違う。
君には君の帰りを待っている人がいて…
君には君の世界がある」
分かっていた。
帰らなきゃいけない運命。
一緒にはいられない運命。
でも、西野なら、そんな運命も変えてくれるような気がしただけ。
結局僕たちは沈黙に時間を使い果たし、まともな話は出来なかった。
遠くから聞こえてきた電車の音が次第に近づくのを感じ、身が震えた。
「じゃあ…」
「うん…元気で」
さよならが近づいている。
さよなら…僕を今日まで支え続けてくれた人…。
「期待に応えてくれる…?」
「ああ…絶対に」
「うん!任せた」
別れ際なのに、別れ際だからこそ笑顔を見せる西野が切ないと思った。
夏の終わり…語り合った将来…共に抱いた希望…
全てから離れる時がついに来た。
「辛くなったら…また来てもいいよ」
それが僕たちの最後の会話だった。
僕は頷き電車に乗り込む。
プシュッと音を立て扉が閉まる。
僕の世界と、西野の世界を区切る扉かも知れない。
あの詩を詠んだ紀貫之もこんな気持ちだったのだろうか?
そう考えると、何となく分かった気がした。
電源を切ったはずのウォークマンからシャンシャンと音が聞こえる。
鞄の中で何かに当たり電源が入ったんだろう。
リピート再生に設定していた「ティアーズ イン ヘヴン」が流れているのが分かった。
切ない歌詞。
美しいメロディ。
間違いなく名曲だった。
いつか君も僕のことを忘れてしまうのだろうか?
もう一度会うとすれば、それはどこだか分からないけど…
きっと天国だろう…。
あの世なんて遠い世界ではない。
ここが天国だ…。
ガタンと音を立て電車が動き出す。
窓の外の風景が動き出す。
まるでこっちのせかいで止まっていたかのような僕の世界が、未来へ向かって動き出す。
電車の横を走り出す君。
窓を開ける僕。
繋がっているのかどうか、交わっているのかどうか、
そんなことも分からないぐらい、二人の世界の関係は不安定なものとなってしまっている。
でも、僕の世界だけなら…
僕に向けられた、その君の笑顔だけで十分に安定するんだ。
君の笑顔が支えてくれるんだ。
どうしてもダメな時…
もう僕は君にすがったりはしない。
僕の曲線で、君の曲線を包み込んでみせる。
辛くなったらもう一度会いに来て。
そう言うことに意味はないだろう。
だって西野の期待に応えると言うだけで、僕は十分がんばれるから。
僕にしかできないような君の期待を必ず叶えてみせる。
もしいつしか二人が街中で顔を合わせることもあるならば…
その日までは…
少なくともがんばり続ける。
でも直感が僕に告げる。
僕達が 再び出会うことはないだろう
だからこそ忘れない
君の声
君の瞳
君と見たすべての風景
そして
君と過ごしたあのまぶしい夏を――――――
END