ある午後の珈琲 - 小鈴  様


 この日、つまり淳平達にとって高校最後の文化祭から一週間と4

日後。とある公園のベンチに座り、大草は不景気な面をして、安っ

ぽい缶珈琲をすすっていた。

 彼は紅茶党であり、本来珈琲を飲む習慣はないはずである。心境

に多少変化があったのだろうか……。彼の隣でやはり珈琲を飲みな

がら、同じサッカー部の高木は考えた。

 だが、好みが変わったわけではないことを、大草の眉間のしわ

が、雄弁に物語っている。要するに、苦い気分の時は苦いものを飲

んで苦い思い出を消化しよう、という魂胆のようだ。

 剛直な性格の高木には理解しがたい心境だろう。








「……今日は女といっしょにいる気分じゃないんだ。」

なぜわざわざ呼び出したのか、という質問に対する大草の返答であ

る。

 高木は苦労して苦笑をこらえた。

「ふん、お前はいつも女に欠くことないと思っていた。」

「そんなこともないさ。気分が乗らない日もある。ごくまれ

に……」

「…で、そんなことを言うためにわざわざ呼び出したのか?」

苦々しげに、高木は吐きすてた。どうせ自慢混じりで女の愚痴を聞

かされるなら、さっさと核心を聞いて、早めに撤退すべきである。

「今日は自慢話じゃない。」

相手の胸中を読んだように、大草は言った。

「ずっと横目で追い続けてた女が、とうとう他人に摘まれちまった

だけさ。」

「しかも、彼女は、オレに一度も目を向けることなく……」

大草は自嘲的に笑った。

 高木は呆然として、友人を見つめた。このように弱々しい大草

を、彼は今まで見たことがない。とっさにかける言葉も見つから

ず、高木は黙り込んでしまった。










 西野と真中が再びつき合い始めた。それを大草が知ったのは、文

化祭の当日だった。

 人混みの中、手をつないで歩く二人を見つけた大草は、それほど

衝撃を受けなかった。こうなることはある程度予想済みであった

し、なによりつかさの背中は未だ不安に揺れていたのである。

 だが、一週間後、偶然バイト帰りのつかさに出会ったとき、大草

は驚いた。

 迷いのない、毅然とした、力強い後ろ姿。大草の声に振り向く、

澄み切った笑顔。

「久しぶり!元気?」

いつも以上に明るい声……。

 ひとつひとつの仕草が、大草の胸に刺さった。決して認めたくな

い感情、淳平への嫉妬が彼の中で大きくなっていく。


「最近、真中とはうまくいってるの?」

いっしょに帰りつつ、それとなく訊ねてみた。

「え……、う、うん」

言葉少なに、つかさは答えた。

 辺りが暗かったのがせめてもの幸いだろう。真っ赤になった顔、

幸せそうな笑みを、大草は見ずにすんだのだ……







(失ってから気づく、か。俺も間抜けだな)

西野に特別な感情を抱きながらも、ほとんど動かなかった大草。

 大草にとって女子は、自然に集まってくるものであって、自ら引

き寄せるものではなかった。ましてや、追いかける対象では決して

なかったのである。

 そして、真中がふらついている間に、西野に近づくことも、本気

になることもできなかった。

 不甲斐ない自分。

 あの時、もし本気で追いかけていれば、現在は変わっていただろ

うか……。

「……所詮オレはこういう生き方しかできないのかな。」

大草は、声に出して呟いた。

 高木はうろたえ気味で、目線を泳がせている。





「……久しぶりにボールでも蹴るか?部活引退してから鈍ってて

よ。」

 ためらいがちに、高木が言いだした。

 すでに30分以上経過した後のことだ。


「……そうだな。やるか!」

夢から覚めたように、大草は言った。

 勢いをつけてベンチから立ち上がった大草は、残りの珈琲を一気

に飲み干した。










……黒い液体は、不快な苦みのみを残して、食道を滑り落ちていった。





END