『WHEEL』 第5章―ただ、君と一緒に― - 光 様



 放課後に、体育倉庫の裏へ。

 嫌な感じの目つきの、いかにもケンカ慣れしていそうな奴が底冷

えするような声で、あるいは、気になっている異性が少し顔色を変

えて消え入りそうな声で。どちらの場合でも総じて―――無論、性

質は全くの別種だが―――緊張感の高まるシーンである。いささか

古典的である、という意見は、この際都合よく忘れておこう。

「話って何、西野?」

 今ここにいる彼、淳平もその例に漏れぬ一人。

 その目の前に立つ少女、つかさは、淳平の方を向いていた背を、

クルリと向きを変えて淳平と向かい合う。

「淳平君・・・」

 淳平の視界に入ったその表情から、何の話であるかの予想を立て

ることができるほど、彼女の整った顔には表情が無い。不機嫌、と

いうわけではない。むしろ、おおよそそこには“感情”というよう

なものが見て取れない。

 だけど・・・・・

 淳平は思い、口腔内にたまったツバを、気付かれないように僅か

に飲み込む。こういった状況において、そんな表情ということ

は・・・・・

「なんか、勢いに押されてOKしちゃったって感じだったけど・・・考

えてみれば、アタシ君のこと全然知らないし・・・だから、もう別れ

て。」

 全身の毛が、足元から順に逆立っていく。経験したことの無いよ

うな悪寒が、くるぶしから湧き出て凄い速さで下から上へ、全身を

駆け抜ける。熱で浮かされた時の様に、頭は全く働かないが、指先

や膝といった部分には、たっぷりと必要のない力が入り、凍えてい

るかのように、止めるのが困難なほど震えだす。

「でも、西野・・・・・えっ?」

 どうやら不吉な聞き違いでないことがはっきりしてくると、よう

やく少し回り始めた頭で、なんとかそれだけ搾り出す。が、目の前

の少女は場の空気を一切省みることが無いかのように、単調に続け

る。

「別に、そんなにタイプってわけでもないし・・・正直、付き合って

すぐ違う高校ってのもな〜んか微妙だしね。」

 どことなくぼんやりした調子で、しかし台詞ははっきりと、淳平

の鼓膜に言の葉を突きつける。対する淳平は、先刻からほとんど反

応無し。呼吸の深さも回数も、平時の二割にも満たない状態。

「どのみち、いつまでも夢ばっかり見てる人って、ちょっとな、っ

て思うし・・・だからアタシは、“彼”と芯愛高校行くからさ。」

「彼・・・・・?」

 最後の方に耳に入ってきた単語を、意味を理解する前に鸚鵡返し

に呟くと、つかさは短く「そっ」とだけ答えて、するりと淳平の横

を通り抜け、そこにいた男の腕にしがみつく。














































「・・・・・大草?」

「じゃあね、淳平君。」



















































































「西野っ!!!」




































































 瞬間的に腹筋に力を込め、バッと跳ね起きる。しょぼつく目を無

理矢理引きちぎって開いたときのような痛みが、目の奥でジンジン

している状態で、淳平は暗闇の中で目を覚ました。泣いていたのだ

ろうか、頬には窓から入る街灯を反射してキラリと光る道筋が。枕

には、名前のわからない小さな島の形を模した様な染みが、残され

ている。

 しばらく肩で息をしていると、無意識のうちに右手が額をぎゅっ

と押さえ、前髪を曲げた指に巻き込み、クシャクシャに握りつぶ

す。

「・・・・・」

 寝つきの良い自分が、久々に真夜中に覚醒した。

 その事実までもが、与えられたショックの大きさを、容赦なく淳

平に叩きつける。











































































「西野・・・・・」

 一息毎に張り裂けそうになるまで空気を吸い込む肺を、何とか落

ち着かせ、それだけ口にする。淳平の脳裏に浮かぶのは、つい先日

から自分の彼女となった少女の姿。

 しかし、これまで何度も思い浮かべてきた、そのどの姿とも(本

人を前にしては言えない、ほとんど妄想といった類のものも含め

て)違う姿が、その時は、眼球にこびりついて離れない。

 暫しの沈黙を挟んで、上下運動を繰り返す両肩が一応の落ち着き

を見せ始めたとき。淳平は、再びベッドに、起きたときと同じぐら

いの勢いで、バッタリと倒れこんだ。

























 翌朝の目覚めは最悪だった。

 あの後、結局すぐにまどろむことは出来ず、何度も苛々と寝返り

をうっていた。ようやくウトウトし始めたのは、東の空にほんの少

し群青色が混ざり始めた頃になってから。当然、自力でいつもの時

間に起床できるわけもなく、母親の怒声に叩き起こされる。が、殆

ど無意識ながらも漸く上体を起こした格好で一瞬だけ静止したかと

思いきや、直後にはコテンと、それまでと同じ仰向けの姿勢にな

る。

 本来だったら、とっくに着替えを済ませて朝食を摂り始めていな

ければいけない時間になって、業を煮やした母親が見に来てみれ

ば、先程と同じ姿勢で眠りこける淳平の姿が。それを見て、とうと

う堪忍袋の緒が悲鳴を上げて引き裂ける。結果、着替えだけを済ま

せた状態で、半ば追い出されるようにして、淳平は学校へと向かっ

ていた。
















 完璧に拭ったとはいえ、少しでも余計に動けば、またすぐに汗が

噴出すであろうことが、確かに感じ取れる。

 シャワーを浴びたい。

 今現在、大草は心のそこからそう感じているが、いくら蒸し暑い

時期の練習の後とはいえ、朝練習後の1時間目を控えた身として

は、ほぼ間違いなく叶わぬ願いである。

 額の前で揺れる髪の毛を、鬱陶しそうに跳ね除ける。廊下を歩き

ながらの、何気ないそんな動作一つにも、脇のクラスからこちらを

見てくる女子生徒の視線を感じるが、完全な無視を決め込む。こん

なものに一つ一つ注意を向け、答えていれば、多分自分は明日の朝

練習の後の時間までそれをやらされることになる。

 目的地の3年4組の教室が見えたところで、既にその中にいるか

もしれない二人のことを何となく考える。

 (小宮山は・・・・・まぁ、いつものことだし、真中は寝坊だろ

うな。)

 予想と言うよりも、ほとんど決定していることを確認するかのよ

うに、ぼんやりとそんなことを思いながら、ドアに手を添え、スラ

イドさせる。教室の前の方にある自らの席に移動する途中、ふと見

慣れない状態のものが視界に入ってきた。














































 (これって・・・・・!)





















































 一気に険しい顔つきに変化していきながら、“ソレ”を見つめる

大草。直後に確信したことは、自分が今するべきこと。即ち、今し

がた教室の戸を開けて入ってきた、たらこ唇の友人を急いで呼ぶこ

とだった。



























































(・・・あぁ〜、だりぃ〜・・・・・)

 泉坂中の校門を過ぎた時、淳平の表情は冴えなかった。というよ

り、完全に沈没直前である。成長期のこの時期に、時間が無いから

と朝食も無しで慌てて家を飛び出し、普段のんびり歩いている登校

路を駆け抜ければ、当然、あっという間にエネルギー切れ。足りな

いエネルギーをねだる腹部の弱々しい警報が、更に憂鬱感を煽る。

が、だからといって鳴り止むものでもなく、もう何度胃の声を無視

したか、わからない。

 くぅ・・・きゅるるるるるる〜

 ほら、また・・・・・。

 (ダメだ・・・・・マジ頭働かねぇ・・・)

 ボーっとした思考のまま、よろよろと校門を過ぎ、校舎内に入る

ときにはほとんど下駄箱に寄りかからなければならない状態だっ

た。ほとんど意識の飛びかけたまま、履いてきた靴をしまい、上履

きを放るように床に置く。どこかで、チャリンという音が聞こえた

ような気もしたが、全く気にも留めずに右足を上履きの中に突っ込

む。




























































「・・・・・っつぅ!」





































































 瞬間、つま先の方が熱くなる。疲れも眠気も、一気に吹き飛んで

しまう。

 (なんだ!?)

 むしり取るようにして突っ掛けただけの上履きを脱ぎ捨て、慌て

てその場から飛びのく。ちょっと見た限りでは、右足のつま先は別

にどうと言うことはない。ならば、今のは・・・?

 淳平はサッと顔を、脱ぎ捨てられ、逆さまにひっくり返っている

上履きに目を向ける。そしてそれを、中に毒蛇でも隠れているかの

ように、そっと持ち上げた。

 そして、合点がいった。






























































「・・・・・画・・・鋲?」





































































 広げた掌に落ちてきた4つほどの金色の物体。淳平は先程の違和

感の正体に気が付いた。熱さを感じたのではない。あれは“痛み”

だったのだ。

「なんでこんな物が上履きの中に・・・・・」

 改めて、画鋲の一つ一つをしげしげと観察してみる。心なしか、

一つの先端は、毒々しく赤く光っている気がする。胃の中がぐるぐ

ると回っているような、妙な気味の悪さに、思わず大きな音をたて

て生唾を飲み込んだ。その時だった・・・。

「真中!」

 呼ばれた声に、さっと階段の方を向くと、大草と小宮山が駆け下

りてくるのが見えた。

「お、おぅ・・・おは・・・・・」

「話は外でしよう。ちょっと来いよ、真中。」

 完全に挨拶しきる間も与えない。ほとんど間髪入れずと言った感

じで、大草は淳平の体の向きをクルリと外に向け、背負った鞄をぐ

いぐいと押していく。



























「なんだよ、こんなとこ連れてきて?」

 押されるがままに淳平が連れて来られた所といえば、昨夜夢に出

てきた、例の体育倉庫の裏。そんな状況からもしや、と一瞬淳平の

脳裏を嫌な予感が掠めるが、あの夢とは明らかに違う一点がある。

 (・・・・・考えないでおこう・・・)

 あの夢との登場人物の差に、洒落にならない想像をした淳平は、

小さくブルッと頭を振った。

 そんな淳平の様子など大して気にしていない様子の二人は、一瞬

だけ顔を見合わせると、決意したように切り出した。

「真中・・・その手に持ってるのは?」

「え?・・・・・これ?」

 指差された手に、上履きと一緒に持っている画鋲を、淳平は再度

見つめる。何となく、その辺に捨てるのが嫌で、そのまま持って来

ていたのだった。

「なんだか知らねぇけど、上履きの中に入ってたんだよ・・・」

 言って二人の方を見る淳平。当然二人も、わけがわからないとい

う表情を浮かべていると思っていた淳平は、大草の「やっぱり」と

いう発言に、疑問符を頭の上に浮かべる。

「やっぱり・・・って、どういう・・・・・?」

 淳平がボソリと呟くのに被せるように、小宮山が無言で手に持っ

ていた一枚の紙を広げて見せた。

「?・・・・・!?」

 淳平も同様に無言で視線を移し、そして驚愕する。

 小宮山が広げた紙は、サイズがA4くらいの、少し皺の寄ったもの

で、真ん中に黒のマジックででかでかと、『怨』という字が書かれ

ていた。その周囲には、かなり雑に描かれた火の玉と思しき物や、

悪口雑言の数々(かなり幼稚なものだが)が連ねられていた。だが、

それよりも、最も淳平の目を引いたのは、その紙の一番下に、更に

黒々と書かれている一言。

「オレたちのつかさちゃんをかえせ・・・・・」

 ほとんど反射的に、目に飛び込んできた文字の羅列を声に出す。

足元が急にふわふわと頼りなくなってきたように感じた。なんだ

か、頭もさっきよりボーっとしている気がして、考えの焦点が定ま

らない。

「それと、これ・・・・・」

 そう言った大草が、ポケットから何かを取り出す。また一枚の紙

のようだが、今度のはもっとずっと小さく、紙質も随分と硬いもの

のようだ。まるで・・・












































「・・・写真?」

 大草が取り出したソレを見て呟く淳平。裏返しなので、何の写真

なのかまでは判別がつかない。差し出されたそれを受け取り、表に

返してみて漸く判った。それは、淳平たちが二年生のときに行っ

た、校外学習の時の集合写真だった。

「もしかして、ここに写ってるのって・・・・・」






































































 淳平はササッと、二、三回写真の上に視線を走らせる。思った通

りだった。淳平が“ここ”と言った以外の場所には、どこにも淳平

本人の姿は写っていない。そして、まず間違いなく自分の顔がある

であろうその位置には、黒く焼け焦げたような痕があった。












































































 それからというもの、淳平への嫌がらせは続き、しかも日増しに

酷くなっていった。原因は、どう考えても学校のアイドル西野つか

さの彼氏になったことに対してのひがみ。淳平の親友の某イケメン

曰く[僕のような男ならともかく、真中みたいなパッとしない、つ

まらん男に盗られたら、そりゃあヤツら、怒るに決まってるよね]

だ、そうである。

 だが、そんなことを言っていた本人も、二日目からは、それが冗

談では済まなくなってきていることを、感じ取っていた。上履き、

外履きに画鋲などと言うのはもう当たり前で、ある時は、登校して

きたら、淳平の席の椅子に、一体何日洗っていないんだろう、とい

うような雑巾が、ろくに絞っていない状態で、こんもりと積まれて

いるし、また別の時には、下駄箱から取り出した上履きが、ひたひ

たに濡れていることもあった。しかもどうやら、ただの水で濡らし

たのではなく、何かおかしな液体を使ったのだろう。そうとうに酷

い臭いを放っていた。

 体育館での授業で使うシューズの底の溝が、完璧に埋められてい

て、とてつもなく滑りやすい代物になっていたこともあった。事

実、淳平がこれに気付いたのは、滑って転び、体育館のフロアに強

かに後頭部をぶつけた後のことだった。この時は、すぐそばにいた

大草のフォローも手伝って、少なくとも事情を知らない者からは

「ちょっとしたドジ」で、笑って誤魔化すことができた。

 反対に、酷かったのは、淳平が授業中に、机に手を入れたときだ

った。







 その日最後の授業中。板書を写しながら、辞書を取り出そうと、

机の中を手探りで動かしているときに、それは起こった。

「!!!」

 突然、淳平が椅子に座ったまま飛び上がりそうになり、机と椅子

をガタンと大きく揺らした。

「どうした、真中?」

 読んでいたテキストを中途半端なところで区切り、尋ねる先生。

それに対して淳平は、ほんの少し顔を歪めながらも「いえ、なんで

もないです。」と返した。

 表情や言い方から、近況を知っている大草と小宮山は、すぐにそ

れを嘘だと見破ったが、それを本人に確認することはできなかっ

た。何しろ授業中であったし、この日に限って、少しだけ長引いた

授業が終わって教員が教室を出る頃には、既につかさが4組の教室

の前まで迎えに来ていて、淳平は帰り支度もそこそこに、すぐに行

ってしまったからだ。

「お、大草・・・・・」

 その光景を見送るなり、すぐにやってきた小宮山を見て、大草も

一つ頷くと、淳平の机の中を覗いてみた。

「え・・・・・?」

 信じられないような気持ちで机の中に手を入れ、目的のソレを慎

重に取り出す。出てきたソレを見て、小宮山も驚きの表情を浮かべ

る。






































































 大草が指でつまんだカッターの替え刃には、真っ赤な鮮血がこび

り付き、ギラリと危なっかしく輝いていた。
















































































「でね?今日、ウチらのクラスで数学の小テストやったんだけど

ぉ・・・」

 いつもの下校路。相変わらずの二人が、相変わらずつかさがほぼ

一方的に喋りながら歩いていた。一応、つかさの言っていることが

それなりに頭に入ってきている淳平だったが、ほとんど空返事の状

態で、右手はポケットの中で強く握ったままだった。

「・・・・・って、淳平君?さっきから、アタシの話、聞いてる?」

「うん。」

「ホントぉに?」

「うん」

























































「・・・・・・・聞いてないでしょ?」

「うん・・・・・えっ!?」

 何とも古典的な手に、あっさりと引っかかる淳平。

「やっ、そっ、そのっ・・・!聞いてる!聞いてます!聞いてました

っ!」

 大慌てに慌てて返すが、当然もう遅い。というよりも、淳平が例

え最後のところを「聞いてるよ」と返したところで、つかさには通

用しなかったであろう。

「別にいいんだけどさーっ」

 起こっているというよりも、ほとんど呆れ返っているような様子

で、つかさは鞄を持った手をブラブラと振って見せた。

「“家に帰ってからでも、二人で話すこと可能”だもんね?」

「へ?・・・・・あっ」

 一瞬、ちゃんと聞いていたにもかかわらず、何を言われているの

か咄嗟に判断できなかった淳平が、間の抜けた声を出すと、直後

に、今いる場所を見て気がつく。

(そう言えば、ココで西野の携帯の番号もらったんだっけ・・・。)

 そこまで思い出して、その直後になにがあったのかを思い出す。

最近の騒ぎに、すっかり忘れかかっていたが、そっちもそっちでか

なりの事態であることを、今更ながらに叩き付けられて、深々とた

め息をついた。

「ダメだよ、ため息なんか!幸せが一緒に逃げちゃうんだから!」

 辛気臭くなった淳平に、つかさが隣で明るく喝をいれる。

「ホラ、吐き出しちゃった分、大きく吸って!」

「すぅー」

「もっと、吸って!」

「すぅー」

「吸って!」

「すぅー」

「はい、それからゆ〜っくり・・・・・































































吸って。」

「西野、それ死んじゃうってば・・・」

 ぶはっ、と盛大に息を吐き出しながら、突っ込みをいれる淳平

に、つかさはクスクスと笑いながら、「ゴメン、ゴメン」と、片目

をつぶって謝って見せる。

「んじゃ、あたし家こっちだから“またあとで”ね!」

 再びそれらしい部分だけを協調した台詞を残して立ち去ってしま

うつかさの背中を、暫くの間、手を振って見送りながら、淳平はこ

こ数日のことを思い返していた。






















































































(俺、この道歩きながら、西野とまともに話したことあったっけ?)




























































































「はぁ〜」

 とぷん、と湯船に体を沈めて、つかさがため息をつく。

「結局、まだぜんっぜん、鳴りやしないし・・・」

 ほんの少しだけ声色に怒りを含めて、ボソリと呟く。今しがたの

ため息、どうも温かい湯に浸かったときに思わず出る類のものだけ

ではないらしい。

「なんだかなぁ・・・・・」

 頭を後ろにそらせて、天井を睨みつける。というより、正確に

は、そこに思い描いている恋人の顔を。

















と・・・、

♪〜♪〜♪

「ん?もー、うるさいなっ!乙女の入浴中に!」

 脱衣所から主を呼ぶ声。着替えと一緒に置いておいた携帯が、ブ

ゥーンとバイブ音と一緒に聞きなれない着信メロディを響かせ、つ

かさを呼び出した。

「誰の着メロだっけ?こんな曲、設定した覚えな・・・・・」

 次の瞬間には、もう風呂場のドアを破らんばかりの勢いで開けて

いた。偶々そばを通りかかった母親が驚いて「つかさちゃん!なん

て格好で出てきてるの!」と、叱り付けたが、そんなことはお構い

無しに、むんずと携帯を引っ掴み、風呂場にとって返しながら、通

話ボタンに指を伸ばす。






「・・・・・・・」

 少し長めの風呂から上がったすぐ後、つかさは、ベッドの上に仰

向けに寝転がりながら、ほうっ、と大きく息をついた。しっかりと

水気を吸い取った前髪を、人差し指でくるくると弄びながら、先程

のことを思い浮かべる

「明日、いつもより早い時間に、学校に行く途中の公園に・・・・・」

 言われたことを、一字一句違わず繰り返す。入浴中に掛かってき

た電話は、ディスプレイの表示を確認するまでもなく、淳平からの

ものとわかっていたし、事実その通りであった。

 初めて掛けて来たにしては、いささか声の調子が沈んでいたのが

少し気にはなったが、それでも、漸く向こうから電話してきたので

あった。そのうえ・・・

「早朝の公園で二人っきりかぁ・・・・・」

 コロン、と寝返りをうち、今度はうつ伏せになるつかさ。

「・・・・・ちょっと、期待しちゃうぞ・・・」

 照れくさそうに笑いながら、つかさは手近なクッションに顔を沈

め、暫くしてから、照明を落として、眠りに就いていった。



 翌朝の公園に、淳平はかなり早くから到着していた。ここに来る

途中、何度「ホントに来るかな?」と思ったことか。しかし、よく

よく考えてみれば、別にケンカしているわけでもないのだから、つ

かさが来ない理由など何もないわけであり、そんなものは杞憂に過

ぎないのだと、後から考えてみれば、よくわからない不安を抱いて

いた。

(・・・・・・・)

 じっと、公園の入り口のほうを見つめる淳平。実のことを言え

ば、つかさには来て欲しいような、来て欲しくないような、そんな

複雑な感情だった。

(でも、言わなきゃ・・・・・俺は・・・)

「!?」

 次の瞬間、急に目の前が暗転する。最初、あまりの緊張に目の前

が真っ暗になったのかと思ったが、不思議と意識がはっきりしてい

るため、それはないと、すぐにわかった。咄嗟に視界を奪われ、パ

ニックに陥りそうになった。淳平の耳に、聞きなれた声が飛び込ん

でくるまでは。

「だ〜れだ?」

「・・・・・西野・・・」

「へへ〜、当ったり〜♪」

 パッと視界が明るくなると、つかさが背中のほうからくるりと回

りこんでくるところだった。

「ゴメンね、待たせちゃったかな?」

「いや、俺も今来たところだし・・・。」

 20分前を今というのならそういうことになるだろう。が、さす

がの淳平でも、こんな時にどう答えるべきなのかぐらいは、わかっ

ている。

「それで?話って、なんなのかな?」

 前置きもなく、いきなりストーレートに切り込んでくるつかさ

に、淳平は少し戸惑いを覚える。見てみれば、つかさは何やら楽し

げであるが、一体何を言われるつもりでここへ来たのだろう?そん

なつかさの心中を思いやると、少しだけ罪悪感が、淳平の心の中で

頭を起こした。

「あ、もしかして・・・ちょっと言いにくいことだったりする?」

 中々切り出さない淳平に、つかさは少しだけ控えめな様子を見せ

てみる。何となく一人ではしゃいでいたことに対する恥ずかしさ半

分、無理に急かしたことを悪いと思う気持ち半分、といった表情

で、淳平の瞳の中を覗いてくる。

「いや、別にそう言う訳じゃなくて・・・」

 言っていることとは裏腹に、尚も言いよどむ淳平。しかし、ここ

で心の中でのみため息を一つつくと、少し冷静になって自分に語り

かける。

 どうせ・・・

「淳平く・・・?」

「西野、ゴメン!」

 反応を返さない淳平に声をかけようとした途端、淳平はいきなり

ガバッと頭を下げた。

「なっ・・・いきなりどうしたの!?」

 目をまん丸に見開いたつかさ。が、それにも構う様子はなく、淳

平は続ける。一気に言ってしまわねば、最後までもたない、とばか

りに。









































































































「実は俺・・・・・、芯愛高校行くって行ったけど・・・・・ホントは泉坂高

校行きたくて・・・」

「いっ!?泉坂高校!?」

 言ってしまってからも少しどもり気味な淳平に対し、こちらは素

直に仰天して見せたつかさ。

「な、なんで?急にレベル高くなってない?芯愛じゃ・・・」

「俺さ・・・・・」

 つかさの言葉を遮るように、淳平の口は言葉を紡ぐ。もう淳平と

しては、こうなると語ってしまった方がぐっと楽である。はずなの

だが・・・

「・・・・・」

 やはり、言いづらい。言ってしまえば、多分笑われる。そして、

もう同じ高校には行けなくなってしまうし、そう言う事なら、いっ

そ・・・・・





















































































「すっげー、くだらないことなんだけどさ・・・どうしてもそこでや

りたいことがあるんだ・・・」

 別れよう。そう言われる事を、昨夜何度も覚悟し、自分の気持ち

に最後の確認だってしたはずだ。つかさのことは確かに好きだが、

恋のために夢を捨てきれるほど、淳平は大人でもなければ、恋愛に

慣れてもいない。ならばと、淳平は本当のことを言ってしまおうと

していた。

「西野に・・・・・黙ってたことは、ホントに悪かったと思ってる・・・。

でも、俺やっぱり泉坂に行きたい・・・・・!だから・・・」














































































 もう、俺とは・・・。







































































「泉坂かぁ・・・・・数学さえ何とかなれば合格できるかも、って先生

も言ってたし、頑張ってみようかな・・・」
















































「へ?」

 いっそこっちから決定打を言ってしまおうかと、逡巡していた矢

先の出来事だった。

「西野・・・・・いいの?」

「うん、そだね。アタシも泉坂高校目指してみるよ!」

 呆気にとられたように聞き返す淳平に、ケロッとした表情で答え

るつかさ。なんとなく不安になった淳平は「いや、そうじゃなく

て・・・」と、更に聞き返す。

「西野・・・・・芯愛高校は・・・・・・・?」

 淳平が呟くように聞くと、つかさは「あぁ、いいのいいの!気に

しないで!」と、明るく、顔の前で手をブンブンと振ってみせる。

「淳平君は、そこでやりたいことあるんでしょ?だったら・・・・・」

「笑わ・・・・・ないの?」

 思わずポツリと漏れた言葉。展開について行けず、ほとんど無意

識に放った言葉だった。が、どうやらこれがつかさには、あまりお

気に召さなかったらしい。ぷうっ、と膨れっ面になると、ジトッ、

と淳平を見ながら、口を尖らせる。

「なぁに?淳平君の中で、アタシってばそんなに嫌なコなわけ

ぇ?」

「い、いやっ!そういうわけじゃ・・・・・!」

 そのものズバリをグサリと言い当てられて、思い切りあたふたす

る淳平。それだけでバレバレなのだが、それでもつかさはふうっ、

と一つ息をつくと、口を開く。

「確かに、夢ってさ・・・・・誰かに言うのすごい恥ずかしかったり、

言った後で叶わなかったらカッコ悪いな、とか・・・言ったときに笑

われたら嫌だな、とか思うだろうけど・・・・・」

「でも・・・」と、つかさは一度そこで口をつぐみ、少し俯く。淳平

が首を少しだけ傾げると、今度は少し赤くなったつかさが、勢い良

く顔を挙げて、



















































































「アタシは、そういうの・・・・・・・・・そういう人、すごくカッコ良く

て・・・・・好き・・・だよ?」

 満面の笑みで、そう言って、今度は耳まで真っ赤になる。

 脳の回転が、ほとんど停止しかかる。自分の脚に、なんだか酷く

現実感がないし、心臓など自爆するのではないかと思うほど、とん

でもないスピードと強さで、バシバシと肋骨を叩いている。

 結局、あれだけイメージの中でこれを告げる練習を繰り返した淳

平に用意されていた結末は、こんなにもあっけなかった。そう思う

と、なんだか急速に、これまでの一切合切が、どうでもよく感じら

れてきた。と・・・、

「あれ?でもそれじゃ・・・」

 少し冷静さを取り戻して、ふと考える。それじゃ、つかさは一

体・・・。

「じゃあ、西野って何で芯愛高校行きたかったの?」

 何気ない一言が、核心を突くということは、よくあるらしい。そ

して今回の場合、大当たり。

「いやっ・・・・・だから、それは・・・さ・・・・・」

 先程とまでは全然違う理由で赤くなるつかさ。それまでのサバサ

バとした印象はどこへやら。一気にモジモジと、なんだかしおらし

くなってしまった。

 さかんに首を傾げる淳平に、つかさはとうとうボソボソと、蚊の

鳴くような声を漏らす。







































































「・・・朝8時まで眠れるなんて・・・・・学生の憧れ・・・じゃない?」














































































 今度こそ、本当に思考が停止しそうになる。

(えっと・・・・・睡眠時間?たった・・・・・・・それだけ?)

 自分は、恋か夢か、どちらを選ぶかで、あんなに真剣に悩んでい

たのに。まさかその競争相手が・・・・・。

「・・・ぶっ・・・・・あははははははは!」

「あーっ!笑うことないじゃんかぁ〜!!!」

 最初の衝撃さえ過ぎてしまえば、何のことはない。これで結局

は、春からも同じ学校に行けるらしい。当然、受かることが出来れ

ば、という前提つきではあるが、今までの不安とは、段違いであ

る。

「ゴメン、ゴメン!悪かったって!!」

 思い切り笑われて、完全に拗ねてしまい、さっきよりも更に頬に

空気を溜めて膨れているつかさを、なんとか宥めようとする淳平。

しかし、そんなつかさの表情も、なんとも可愛いと思えてしまい、

それでさらに可笑しさがこみ上げてくる。

(・・・・・そうだよな。西野は、ちゃんと俺の夢聞いてくれたのに、俺

が笑っちゃダメだよな。)

「西野。」

 ふっ、と真面目な顔になり、つかさを呼ぶ。つかさも、視線を向

けた淳平の表情が一変したのを見て、ちょっとだけ頬の空気を外に

出す。

「笑ってゴメン。もしかしたら、もう嫌われちゃったかも知れない

けど・・・」

 はっきり言って、恥ずかしい。まさか、女の子にこんなこと言う

なんて、今まで見てきたどんなクサイ映画にも負けないほど、プン

プンである。しかし、

「一緒に泉坂、目指そうぜ?」


言った、と淳平は達成感を感じる。あとは、つかさの返答しだいな

のだが・・・。

「淳平君が、思いっきり笑うから、ヤ〜ダヨ♪」

 ぷいっ、と意地悪顔で、再びそっぽを向いてしまう。冗談なのが

わかっているので、淳平も「頼むよ〜」などと、明るいノリで、な

んとかつかさを振り向かせようとする。すると、

「じゃあ・・・・・」

 公園の入り口まで行き、急に振り返ったつかさ。そして何故か、

鞄を持っていない方の左手を、ピッと淳平に向けて差し伸べる。

 突然の行動に、ポカンとした表情の淳平に、つかさは、

「今日から毎日、学校まで手繋いで行ってくれたら・・・・・考えてあ

げてもいいぞっ!」

 三度、頬を染めて言うつかさ。淳平も、正直に言ってかなり顔が

熱くなっているのを十分にわかっていたし、それがどれほど恥ずか

しいことか、理解できていた。

しかし・・・・・

「よろしくな・・・・・西野・・・」

 ポケットから出した手を、そっとつかさの手に重ねる。つかさ

も、その瞬間は驚いたような表情を浮かべたが、すぐに嬉しそう

に、手を握り返す。

「うん・・・。」

 にっこりと微笑むつかさ。その笑顔だけで、ノックアウトされか

かって、淳平は頭から盛大に湯気を吹き上げる。

 最高・・・。

 そんな風に、淳平が天国を垣間見ている時だった。

「ん?」

 繋がれた手を見ていたつかさが、ふと、怪訝そうな声をあげて、

小首を傾げる。






























































「淳平君・・・・・その指、どうしたの?」





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