[memory]8 - takaci  様


東京都内にある高級マンション。


一般のサラリーマンにはあまり縁のないこの場所に、天才作家東城綾の自宅がある。





綾は高校卒業後、地方の国立大学に進学した。


つかさと淳平の幸せそうな姿を見るのが辛かったためだが、失恋の傷はそれでも癒えず、大人しくやや臆病な性格も災いして新しい友人も出来ない、とても寂しい生活だった。





そんな寂しい時に浮かぶのは、淳平の笑顔。


本人の想像以上に淳平という人物は綾にとって大きな存在であり、遠く離れた事によって改めてそれを理解し、それが新たな苦しみを生み出していた。





苦しみの渦中にいる綾に『つかさの死』の知らせが突然舞い込んだのは、地方に出て2ヶ月弱ほど経った頃である。


もちろん驚き、深い悲しみもあったが、それ以上に大きなチャンスだ。


居ても立ってもいられなくなった綾は慌てて泉坂に戻り、悲しみに暮れる淳平の側にずっといる選択肢をとった。


そしてその結果、綾のずっと募っていた想いがようやく実り、晴れて恋人の座を手にした。





だがその代わり、国立大学の退学と実家への出入り禁止という状況になってしまってもいた。


ずっと淳平の側にいる決断をした綾がもう地方の大学に戻れるはずもなく、親兄弟の猛烈な反対を押し切った結果だった。


一般的に大学の退学と言うのは人生からすれば大きなマイナスだが、綾にとっては結果的にプラスに繋がる。


高校卒業の頃にはもう小説家デビューが決まっており、大学を退学した事で小説家としての活動に集中する事が出来るようになっていた。


さらに淳平の側にいる事が綾の心を安定させ、それが数々の名作を生み出す大きな要因になり、あっという間に超売れっ子の美人天才小説家としての地位を確立した。





勘当後しばらくは唯のアパートに居候していたのだが、しばらくして近くのアパートに自ら部屋を借り、そして1年半ほど前に現在の自宅へと移っている。


以前ある番組で淳平が『綾の収入は自分より一桁上』と言っていたのを覚えているだろうか?


映画監督としての収入は微々たる物だが、淳平はその他でタレント活動をしており実際のところそちらが収入の大半を占めている。


特にここ1年ほどはかなり忙しくなり、総収入は同世代のサラリーマンの軽く数倍に達している。


淳平ですらそれだけ稼いでいるのだが、綾の収入はその『一桁上』だ。


一般人が憧れる高級マンションも、現在の綾は苦も無く買えるほどになっている。





ちなみに淳平も数年前から親元を離れ一人暮らしをしている。


最も淳平の収入でマンションなぞ買えないのでアパート暮らしだが、年収の割にはかなりランクの低い部屋に住んでいる。


『今の俺には豪華な部屋は必要ない』と言うのが淳平の弁だが、このあたりが貧乏性と言われる所以である。










閑話休題。





ピンポーン





綾の部屋の前でインターフォンの押す年輩の男の姿。





ガチャ・・・





「東城先生、どうも、お疲れ様です」


「どうぞ、上がってください」


綾がにこやかな表情で招き入れると、男もまた満面の笑みを浮かべて入っていった。


「あれ?誰か来てはるんですか?」


男は綾らしくないやや派手な女物の靴と、奥から聞こえる女性の声に気付きそう尋ねる。


「ええ、友達が・・・」


「そうですか、先生のご親友ですかあ。ではワシもちょっと挨拶させてもらいますわあ」


何度も訪れている綾の部屋がどういう構造なのかは頭の中に入っている。


男は軽い足取りで奥に進んでいった。





が・・・





「えっ!?あんさんは確か・・・」


綾の親友の姿を見て絶句する男。





「おはよ・・・じゃなくってこんにちは〜。出版社のオジサンですよね?面白くって優しいオジサンだって綾から聞いてますよお〜〜」


男とは対照的に愛嬌を振りまく『つかさ』、つまりさつきと、そのマネージャーの姿があった。





「せ、先生、あの、その・・・」


半年前、綾の恋人である淳平がさつきと浮気をしたことはあまりにも有名であり、この男もよく知っている。


まともに考えればそんな人物が友人として居るなんて考えられない。


だが綾は男に対しにっこりと微笑んで、


「彼女とは付き合い長いんですよ。高校1年の時からかな。あたしにとって本当に大切な親友ですよ」


とても嘘をついているとは思えない優しい表情でそう話した。


「そうそう。真中とも綾ともふつーに付き合ってるよね。それにこの前友達として正式に紹介してくれたし」





先日、綾が昼のバラエティ番組『笑って○○とも』に出演し、最後にさつきを友人として紹介した。


その時も出演者やスタッフを含めた会場全体が大きなざわめきに包まれ、ふたりが電話で会話をした時には異様な緊張感が漂っていた。


もっとも当人同士はいたって普通ににこやかに会話していたのではあるが・・・





綾は男のためのお茶菓子を用意するため、一旦部屋から離れていった。


「はあ〜〜〜、しかしホンマ驚きましたわあ。もちろん『いいとも』の事は知っとったけど、まさかここまでおふたりの仲がいいとは・・・いや付き合いが長いことは先生から聞いてましたがなあ・・・」


「オジサンも綾との付き合いは結構長いんだよね?確か小説家デビュー間もない頃からだって聞いてたけど・・・」


「あっそうだそうだ名刺渡さなあかん。驚き過ぎてすっかり意識が飛んどったわあ」


男は慌てて胸ポケットから名刺を取り出し、さつきとマネージャーのふたりに丁寧に差し出した。


「私、大塚出版のものでございます」


本来、名刺を差し出す時は名前を言うものだが、この男はあえて言わない。





『小鳥遊 敬三』


名刺には男の名がこう書かれている。





「こ・・・コト・・・コチョ・・・ユウ・・・さん?」


さつきは名刺に書かれた名前を見てそう読んだが、よく分かっていない。


「バカ。つかさってこれ読めないの?」


そんなさつきに呆れる女性マネージャー。


「バカって何よお?そもそもこんな名前見たことないって!」


「これで『タカナシ』って読むの!」


「はあ?なんでタカナシなのよお?」


「小鳥が遊ぶ、それはつまり外敵が居ない。鷹は小鳥にとって外敵でしょ?だからタカナシなの!」


「ほお!あなたは博学ですなあ。さすが一流タレントを支えるマネージャーは違いますなあ」


淳平の例もあるように、外村はタレントのマネージャーには力を持った者を選んでいる。


『つかさ』のマネージャーもその例に漏れず、まだ若いがマネージャーとしての力はかなりのもので淳平のマネージャーを務める前田よりずっとやり手であり、頭の回転も早い。





「でもあたしみたいに頭が悪いのは読めないってば。あたしならもうコトリさんって呼んじゃうよ」


「いや、そう呼ぶ方も多いですわ。『おおいコトリちゃん居る〜〜』って職場でもよう言われてますわあ」


「でしょでしょ!!それに『タカナシ』よりコトリちゃんのほうが愛嬌あるもんね。あたしはこれからオジサンのことをコトリちゃんって呼ぶから!」


「ええですよええですよ。でもあなたのような美人にそう呼ばれたらホント小鳥みたいに元気よく飛べちゃいそうやなあ!」


「もう、オジサン大袈裟すぎ!!」


むすっとしていたさつきだが、小鳥遊の機転により急速に機嫌が回復する。





小鳥遊はこの自分の名を上手く利用し、自らを売り込んでいた。


だがさつきのように上手く読めずに機嫌を損ねてしまう者も多いので、そのときのフォローの仕方も心得ている。


小柄で憎めない表情をしている中年の男だが、編集者としての腕はかなりのものを持っており、名前だけでなく実力も認められている存在だ。





「ねえねえ、コトリちゃんって綾の担当だから、頼めば綾もいろいろ聞いてくれるよね?」


さつきは小鳥遊にいきなり笑顔でそう問いかける。


「え?う〜〜ん、まあいろいろ先生には無理な頼みも聞いてもらってますなあ。先生は優しいお方ですから・・・」


「じゃあコトリちゃんからも頼んでくれない?あたしを真中と綾のエッチに混ぜてくれない?ってさ!」


「え、ええええっ!?」


顔を真っ赤にして派手に驚く小鳥遊。


でもさつきは表情を変えずに次々と爆弾発言を繰り返して行く。


「だってさあ、要は陰でコソコソやるのがまずいわけで、だったらもうおおっぴらにどーんと目の前でやっちゃえば問題ないと思わない?」


「え、そ、そう言われても・・・」


「それに男って複数の女の子とエッチしてみたいでしょ?そういう男の願いを叶えてあげる寛大な心も恋人には必要でしょ! そもそも綾ひとりだけじゃ真中の相手は辛いのよ。綾の負担を軽くするためにもここはあたしが一肌脱いで・・・」


「あ、あの、先生ひとりじゃ辛いって・・・それは一体?」


「あのね、真中ってそれなりにいろんな女の子の相手してるからエッチ上手なの。 で、綾は身も心も真中べったりでしょ。だから真中に本気出されるともう大声あげて乱れまくって小説が書けなくなるくらいベッドの上で体力使い果たしちゃう・・・」





「さつきちゃん!!」


小鳥遊のためのコーヒーを持ってきた綾が大声をあげてさつきの強烈な暴露話に釘を刺す。


もちろん顔は真っ赤だ。





「つかさ、馬鹿なこと言ってんじゃないの。そろそろ行くよっ!」


綾の援護、と言うわけではないが、マネージャーが時計を見ながらさつきを促す。


「えっもうそんな時間?」


さつきは慌てて立ち上がり身支度を整えると、「またね!」と挨拶しマネージャーと共に素早く部屋から出て行った。










「な、なんか慌しいお人ですなあ・・・」


嵐のような展開に呆然とする小鳥遊。


「さつきちゃん、仕事の合間を縫ってここに息抜きに来るんです。彼女、体力はあるけど精神的にはきついみたいで・・・」





高校卒業後、常に競争の激しい世界に居続けたさつきはかなり性格が変わり、自分にも他人にも厳しい態度をとるようになった。


でも本来はとても優しい心を持つ女性であり、その根っこの部分までは変われない。


厳しくあり続けて疲れたときさつきはこうして綾の部屋を訪れる。


浮気騒動のゴタゴタはあったが、むしろそれにより両者の絆は深まり、今では大切な親友となっている。


さつきにとって綾の部屋は、芸能人『つかさ』から素の『北大路さつき』に戻れる数少ない場所となっていた。





「そうなんですかあ。イメージと違って本当はいい娘なんですなあ・・・」


「ええ。彼女は本当に素直で裏表が無くって・・・  あっ! でっ、でも・・・あ、あの話は嘘ですからね! あたしそんなに乱れたりは・・・  あっやっやだ何言ってんだろあたし・・・」


「あ、ああ・・・い、いやそんな・・・わしもホンマにあの話は信じとらんでさかいに、どうか気にせんでください・・・」


顔を真っ赤にして固まる両者だが、それなりに付き合いが長い小鳥遊は現在の綾の態度で感じていた。


(先生、おしとやかな見た目と違って・・・夜は激しいんやなあ・・・)


綾の嘘を見抜くと同時に、新たな一面を知る小鳥遊だった。










小鳥遊は今後の出版スケジュールと原稿締め切り時期の打ち合わせのため、綾を尋ねていた。


そしてその打ち合わせも終わり、小鳥遊が引き上げようとした頃、


「あ、ついでにこれを持ってってください。原稿出来てるから・・・」


綾は1枚のメモリーカードを差し出した。


とても小さなカードだが、とてつもない量の原稿を収める容量を持っている。


「ありがとうございます。確かに・・・」


小鳥遊はカードを丁重に受け取りとても大切そうに自らの鞄に入れた。





時代の流れにより、今となっては手書きの原稿を直接受け取る事はまず無い。


分厚い原稿のやり取りがなくなった事に対し小鳥遊は一抹の寂しさを感じていたが、形は違えど手書きの原稿もメモリーカードも『作者の魂』である事には変わりは無く、大切に扱うのも変わらないのだ。





「でも先生は原稿が早くてホンマに助かりますわ。これだけ締め切りに確実に間に合わせる作家さんも珍しいですなあ」


「納期に間に合わせるのがプロの務めですから」


綾は表情を変えずにさらりとそう答える。


「いやもちろんそうなんですけど、そう思っとらん作家さんがホンマに多くって困っとるんですわあ。特にベテランのお人ほど身勝手で無茶を言いはりましてなあ、この前もミステリー書かれてる人が『科捜研のDNA鑑定の精度が知りたいから調べてくれ』って言わはりまして・・・」


「DNA鑑定?」


「ええ。一部の大学でも出来るんですが、その先生は『科捜研の技術レベルが知りたいから頼んでくれ』と無茶な要求を・・・ホンマ往生しましたわあ。でもこれで科捜研とのパイプが出来ましたんで、ワシに言ってくだされば色々調べれまっせ!」


小鳥遊の表情からは当時の苦労がうかがえるが、綾には目の前の小鳥遊の表情は見えていなかった。





綾の脳裏に浮かぶのは、数日前の公園での光景。


偶然出会った迷子の男の子と、その子と楽しそうに触れ合う愛する人の姿。


綾の腕に抱かれ、無邪気な笑顔を見せる男の子の顔立ち。





あくまで偶然の出会いで、もう今後は二度と会うことはないだろうと思われる男の子。


だが綾は、この男の子の事がずっと心に小さく引っかかっていた。


(あの子の顔立ち・・・性格・・・それに淳平と触れ合ってた時の雰囲気・・・)


その光景がある仮説を生み出し、それが綾の心を揺さぶり続けている。


(・・・ううん、でもそんな事はありえない。あの子は4才だから計算が合わないし、それに地理的にも・・・)


頭で考えれば考えるほど、その仮説は杞憂でしかないのは明らか。


でも綾の不安は決して消えない。


根拠のないただの『直感』が、綾の心に小さな警笛を鳴らし続けていた。





「先生、どうなさいました?」


ずっと難しい表情で考え事をしている綾に小鳥遊は怪訝な顔で声をかける。


それでも綾はしばらくずっと黙ってうつむいたままだったが、





「すみません、実はあたしも・・・調べて欲しいものがあるんですが・・・」





そう切り出した綾の目は、不安の色に満ちていた。

























その頃、遠く離れた理沙の地元では、





「課長!俺、理沙と結婚します!!」


学の能天気な声が観光課に響いていた。



NEXT