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今は忘却の中に沈む射干玉(ぬばたま)の記憶

触れ得ぬことの出来ない既に不帰の世界

思い出せぬままに失う前の夢のあとさきよ

輝きは永久に

想いは海よりも空よりも深く蒼く沈降する



-- 記憶鮮明 キオクセンメイ--

 『 蒼 天 』



みぞれ混じる小雨の中、肩を寄せ合い男女がグラウンドを抜け正門を出てく。
抱き寄せた肩が男の胸の辺りに来ている。
一つの傘にすっぽりと収まり一つに解け合った影が歩いていく。
俺は灯油の切れたストーブの所為で、急速に冷えていく部室からぼんやりそれを眺めていた。
見詰めていた先の影の名は・・・東城綾・・・そして男は天地。
彼女は一人じゃない・・・安堵に似た溜息をついて部室を後にした。

模試の結果から早いうちにこうなると気付いていた。
いいや、もっと早くこうしなきゃいけなかったんだ・・・同じ大学にはいけないんだと・・・。
彼女の狙う大学は二つ。
俺と同じ私立青都大学芸術学部映像科
そして国立・・・東大・・・天地も狙っている大学・・・。
どちらが滑り止めか一目瞭然、才色兼備とはまさに彼女のことだ。
そして俺の気持ちも、傾きつつあったのだから・・・。

誰も居ない冬休み間近の下駄箱を後にする。
冬の寒風が防寒なんぞしてない俺の身体からごっそり体温を奪っていく。
「・・・さみぃ・・・傘もないなあ・・・しょうがないか・・・」
そんな時はいつも彼女が傘を貸してくれていた、もう甘えるわけにはいかない。
鞄を頭に、みぞれ雨の中を走り出した。



俺は一つの場所を目指していた。
パステリー鶴屋・・・もちろんただ一人の美少女に逢う為に・・・。
数日後、終業式を向え冬休みになる。
受験生にとって最後の追い込みのシーズン、疎かに出来ない時間なんだけど顔を見たくて堪らなくなったから・・・。

・・・カランカラン・・・カラン・・・

扉を開けるとクリスマス商戦も一段落した店内に入る。
ここからじゃパティシエ見習いの西野の姿は見えない、覗き込もうとするとここの御大、店長が出てきた。

「あら、あんたまた来たのかい、
 つかさちゃんは忙しいんだ、後にしておくれよ」

「あっ、待たせてもらいます・・・」

「ケーキは何にするのかい、
つかさちゃんの作ったケーキはうちの孫が作ったものと引けをとらないよ」

「どれですかそのケーキは?」

ショーケースを覗き込むと色とりどりの作品と呼ぶに相応しい品が並んでいる。

「じゃあ、二、三個選んでおくよ、まだ当分終業まで時間もあるんだ、
紅茶飲んでくつろいでおくれ」

「・・・あ、はい・・・」

レジ横にある雑誌を適当に取ると、厨房が良く見える席を陣取りのんびりと構えた。
時折プラチナブロンドの髪が隙間から見える・・・そこにいるんだと安堵して雑誌に目を落とした。



「おまたせ!淳平くん!!」

「・・・に、西野、お、お疲れさま・・・」

私服の美少女がエメラルドグリーンの瞳を輝かせてにっこりと笑っている。
小首をかしげカックンとスマイル、俺だけに向けられた笑みに俺は・・・。
・・・首にはクリーム色のマフラー、薄茶のジャケットに濃い紺色のコーディロイ生地のズボン・・・
冬の装いなのに身体のラインは手に取るようにわかる。
・・・男なら確かめずにはいられない上向きのヒップラインは、ぴっちりとズボンからその弾力の良さをあらわして・・・

(・・・か、かわいい・・・むちゃくちゃかわいい〜〜・・・それに段々と色気が出てきたような〜・・・)

「淳平くんどうしたの? いつもぼーっとしてるんだから・・・
暗いし寒くなったね・・・どっか寄ってお茶する?」

「あっああ、そうだなあ・・・少し歩いていく?」

「うん!行こう!!」

可愛すぎて見惚れてしまうのを、いつもの様に西野は気付かない。
自分の可愛さに気付かないところも西野らしい。
連れ立って歩く隣合う肩が暖かい。
お互いの間にある手はいつも触れるくらい側にあるのに・・・握ることの勇気のない俺の所為でいつも冷たそうだ。
ポケットから出した手が空を切る・・・西野も手袋さえしていない真冬の夜に出したまま・・・。
でも今夜は・・・少し違う自分を信じよう。

「ファミレス寄るよね、こっちこっち♪」

「うん、あ、あのさ・・・今日は俺のおごりで何でもいいから注文して・・・」

「本当!でも大丈夫?バイトしてないし受験生におごらせても悪いかなあなんて」

「だ、大丈夫!おこずかいちゃんと残してあるからさ」

「じゃあ給料日にお返しするね♪」

年末の賑わいで活気付く街・・・。
通り過ぎて行く人達にはカップルに見えるだろう。
誰に見られても・・・もう・・・。

(・・・臆することなく堂々と街を歩ける・・・)

(・・・その事を告げに来たんだ・・・)

(・・・何も別れ話を持ち出すわけじゃない・・・)

(・・・でも・・・)

(・・・西野が拒絶したら?・・・)

真冬の街頭で背中に冷たい汗が落ちる。

(・・・ここで振られても独りになるだけさ・・・独りに・・・)

一度振られた哀しさが必要以上に自分を臆病にさせる。

(・・・それに・・・もし受け入れられても・・・来年の春には・・・)

東城の泣き顔が浮かぶ、泣きはしなかったけどさつきとこずえちゃん・・・とっても寂しそうな顔だった。

(ここにきて自分は何をためらってるんだろう。)

(自分の保身に躍起になって・・・人を傷つけてる・・・。)

(女の子の初恋は特別なものなのに、男でもそうだけどさ・・・)

「どうしたの、顔が真っ青だよ?具合が悪いならまた今度にしようか?」

「わぁっ、に、西野・・・そうじゃないんだ気にしないで・・・ほらついたよ・・・」

「本当? 無理しないでね」

「ああ、無理してない、店に入ろうか」

(西野の笑顔が見たい・・・今はそれだけ考えよう・・・)

怪訝な顔をしたままの西野と一緒にファミレスに入った。



ドリンクバーの飲み放題と軽食を注文した。
西野はサンドイッチ、俺も同じものを頼んだ。
実際は喉に何も通らないほど緊張してるんだけど・・・体裁程度に同じものだ。

注文した後、早速西野は俺の飲み物を持ってきてくれる。

「淳平くんは何がいい?コーヒーそれともポタージュ」

「えっと、西野と同じで良いよ」

「わかった、私ブラックコーヒーだから淳平くんにはミルクとシロップ付けるね」

「あ、ありがとう」

(やさしく気遣う西野・・・かわいい、しかし、緊張で手の平が汗でベトベト・・・冬だってのに・・・)

西野が戻ってきた。ウエイトレスよろしく飲み物を置くと対面の席に座る。
いつもと変らない、いや、むしろよろこんでくれてるだろう、その顔はバイト後の疲れがまったく見えない。
サンドイッチをはさんで会話が弾む。

「最近来てくれるよね、勉強はかどってる?模試の結果悪いって言ってたけど・・・」

「ああ、それは針路変更したからさ、とは言っても希望大学も受けるよ、滑り止めもばっちり」

「そうかあ、うーん・・・あんなに行きたいって行ってたのに・・・淳平くんなら大丈夫絶対何とかなるって!!」

「ああ、サンキュー」

「クラスの皆も三学期中は余り逢えないなあ、西野のところもそう?」

「うん、私のところも一応進学校だからね」

卒業まで逢わない友人も多い、そして春には別々の道へ・・・外村は多分、いや間違いなく東城と同じキャンパスにいるだろう。
進学の話になると必然的にお互いの知り合いの話になる。
話さなければならない話に少し近づいた。

「さつきは就職に親が反対して短大か美容学校受けるってさ、本人はすぐ働ける技術が欲しいって」

「あー、それわかるなあ、早く大人になりたいって言うか、自立したいんだよ」

西野はもう十分に自立している。
バイトと言うより社会人並に仕事をこなしているんだから、同級生と比べればどんなにしっかりしてるか良くわかる。

「ところで・・・東城さんは? 受けるの同じ大学だよね・・・」

「ん、ああ・・・そうだったと言うか・・・一応受けるんだろうけどあくまで滑り止めだろうな・・・
東城にはっきり言ったんだ・・・同じ道は歩けないって・・・
もしかして俺が落ちるかもしれない、いいや現実はもっと酷くて受かるかもしれない程度・・・
そんな大学受けたってダメだって言った・・・」

西野は目を丸くして驚きの顔で聞いている、当たり前か、これは過去を清算しているのと同じだもんな。
俺は知らず知らずにひざ上の手を痛いほど握りしめていた。

「・・・」

「待つって言ってくれたんだけど、待たれても無理だって言った、留年許すほど家は余裕ないからって・・・言った」

「・・・淳平くんそれでいいの?一緒に行きたかったんだよね、今から努力すればまだ間に合うんじゃない」

「・・・なんといっても俺の学力が低すぎる・・・
・・・それに・・・俺は・・・決めたんだ・・・これ以上彼女の夢の妨げにならないようにって・・・
小説はどこでも書けるかもしれない、でもそこでしか出来ない事もある・・・もっと高みを狙えるんだ・・・」

「じゃあ・・・東城さん・・・」

「うん、泣いてたよ・・・でも彼女は一人にはならないよ・・・支えてくれる人がいる
もっと早くに言うべきだったんだ・・・こんな時期に言うなんて非常識だよな・・・ははは」

すっかり冷めてしまったコーヒーにミルクとシロップを入れてぐっと飲み干した。
余計に喉が渇く、暖房の効きすぎなのか頭が熱い・・・間が持たない・・・。



無言のまま食べ終えると店を出た。
結局一口申し訳程度に摘んで残してしまった。
店を出ると曇っていた空は晴れて、冬の透き通った闇が天に広がっている。

「・・・ごちそうさま・・・」

「・・・うん・・・」

控えめな声が西野の心情を表していて戸惑う。

(西野に笑顔を与えたいのに)

(そして、更に先を行こうとする西野を応援したいのに)

(なぜ俺は祝福できない・・・何を恐れて身体が震える?)

(やっぱり拒絶されるのが怖いんだ・・・西野に拒絶されたら俺は・・・
・・・二度振られるってことだよな・・・それだけなんだ・・・
・・・今までの事を思えば仕方ない・・・別れてから・・・積み重ねてきたものがなくなるだけだ)

(それが怖い・・・それが一番・・・でもそれは・・・西野も?)

見慣れた道を黙々と歩く。
歩調は少し右後の西野に合わせて歩く。
こんな風に歩いていても恋人同士に見えるんだろうか、ポケットから出したままの手は心の底では期待して・・・ぶらぶら空を切る。
西野の手は春の爽やかな日差しの中でも冷たかった、冬なら殊更冷たいはずだ。

(じゃあ俺はなぜ、気付いてるくせに温めてやらないんだ、それが出来ないんだ)

(・・・なぜ・・・なぜ・・・俺は・・・)

思考は繰り返し沈黙を重くする。
あの角をまわれば近道の公園だ、抜ければ家路に着く。
ほんのわずかな時間が残されているだけになった。
公園前で、すっと西野が前に出た、
首をかしげてにっこり笑う・・・それでもなにか寂しそうで・・・光る唇が震えてるように見えた。

「淳平くんここまででいいよ・・・冬だもん痴漢も出ないし走って帰れば問題ないよ」

「・・・あ・・・に、西野・・・公園最後まで送らせてよ・・・いつもそこまでしてるし・・・」

「・・・ん・・・わかった・・・」

(わー、ごめんっ西野!黙っててさ気まずいよな〜どうにかしなきゃ・・・)

動揺する俺を知っているのか知らないのか西野は外灯がこうこうと照るベンチに腰掛けた。

「ここ座ろうよ、・・・まだ話したいこともあるしさ・・・ね・・・」

「・・・うん」

「・・・」

「・・・」

年の暮れの公園、距離を置いたカップルが肩を丸めるように座っている。
この距離は二人の距離。
この寒さは二人の感じている寒さ。
光だけがやけに眩しく美少女の白金の金髪を際立たせていた。



「あっ、あのさ、うちの親って留学が本決まりになったとたん、向こうの遠い親戚に挨拶に行くって、
お父さん張り切っちゃってさ、お土産山ほど買って一部屋潰して準備してるんだよ」

「・・・へぇ、そうなんだ・・・」

いきなりの留学関係の話に驚く、西野は・・・西野の心は日本に・・・俺に・・・ないんだろうか。

「留学先のパリ市内のアパートと親戚の家に行くの、かなり田舎で長距離だからいつもレンタカー借りて行くんだよ」

「ふーん、遠いんだね、いつ行くの」

「正月休みを利用して家族で行くよ、お母さんの遠い遠い親戚で去年も遊びに行ったところ、
すごーく田舎なんだよ、ブドウ畑がずーっと見渡すかぎり並んでて・・・私も自家製ワイン飲ませてもらったよ」

いつもと同じ、あまりに変らない饒舌な西野を見てるとなんだか安心してくる。
俺の顔色を気にして沈黙したりしない前向きな西野、これが俺の中のイメージ・・・。
若干違和感を覚えながら・・・にこやかに話す西野を見ていた。

「すごいなあ、見てみたい、風景画みたいだろう」

「うん、絵葉書みたいだよ!そうだ、あっちについたら手紙を書くよ、
おじさんちの地方の絵葉書にメッセージそえて送るから」

「ああ、楽しみにしてる・・・西野はいつ帰ってくるの?冬休み明けは俺はセンター試験で忙しいかな」

(冬休みは数日中にやってくる、西野の心はもうフランスにあるんだ、
俺も受験一筋に心を入れ替えなくっちゃならない・・・
くよくよ悩んでも仕方ない、お互いの夢がある両立しながらなんて無理なんだ・・・)

そう言い聞かせるように俺は繰り返した。でもでも・・・本当にそれでいいのか?

「どうしたの淳平くん?またぼーっとして・・・寒い?もう帰ろうか・・・」

覗き込む彼女の瞳に心の全てを見透かされたように思った。
実際はわからないだろう、しかし弱気な俺が見透かされたように彼女の透き通った瞳に映っている・・・。

「あ、いやそうじゃなくて・・・もういなくなるんだなあってさ考えてた・・・もう少しで冬休みなんだなあって」

「・・・うん、もう少し・・・でもちゃんと帰ってくるんだから安心して!」

背中をドンと叩かれる。

「おっとと、だよなあ・・・本格的にパリに行くにはまだ早いし・・・うん・・・」

(もう少ししかない・・・声をかければ逢える距離じゃなくなる・・・)

「そうだよ、淳平くんは受験で大変だけど春の卒業式までいるから・・・逢えるよ、うん」

目線を合わせられない、俺の視線を追って西野の視線も空を切る。

(動揺を隠したい・・・留学を祝福したい・・・)

自分も認めたくない気持ちが湧き上がる。

(・・・さみしい・・・
男の俺がなんて女々しい・・・でも抑えることが出来ない
塾帰りのこの時間がなくなることが・・・胸が苦しい・・・)

「そうだ! 西野のところって卒業旅行とかするの?」

「トモコ達が、修学旅行で逢った事あると思うけど、その友達がね予定組んでるよ、
後からのお楽しみで、まだ教えてくれないんだけどね、淳平くんはどこに行くの?」

俺もあったんだけどさ・・・俺は参加できなくなったから・・・なくなった」

「え、何で?あっ・・・そっか・・・」

「・・・うん・・・」

再び重い沈黙。
俺は何度西野を困らせればいいんだろう。
自問自答しながら、自分の気持ちに素直にならなきゃいけないことを自覚した。

「しょうがないよな、俺の所為なんだからさ・・・この調子だとあるかどうかもわかんないし・・・」

それまで悲しそうな顔をしていた西野の瞳にぐっと力を入が入った。

「じゃあっ、二人でまた旅行しようか!」

「・・・えっ・・・えええええっ!西野ぉ!!それってもしかして・・・」

「そうそう、夏に二人っきりで別荘行ったよね、あそこはどうかな?
卒業旅行にお金使っちゃうから他に行くところないけどさ、雪を見ながらのんびりしない?
あそこは豪雪地帯だから、まだ雪が残ってきれいだよ〜」

「ああ、いいなあ、そのころは結果も出てのんびり出来るし、バカ騒ぎよりそっちの方が向いてるかもなあ」

俺はすぐ雪の中と想像して、温泉に浸かって湯煙の中の西野を思い浮かべた・・・、
誰もいない混浴の露天風呂で、産まれたままの姿、西野の肌はほんのりと紅く染まって・・・

『ほら雪が降ってきたよ淳平くん、岩の上にいっぱいつもってるね〜、えいっ、こら、避けちゃダメ〜』

消える魔球を投げてくる西野・・・肝心なところは湯気で見えない・・・妄想が足りないようだ・・・。

「こら、淳平くん、鼻の下延ばして、なーに考えてるのかな!!!」

「ふぁいぃっ、にひの・・・」
鼻を摘まれてしまった。

「どうせ、雪を見ながら温泉とか妄想したんでしょう!」

「・・・いやあのその・・・」

「いいよ、ゆるしてあげる、近所に温泉施設もあるし入れないわけじゃないから・・・私も一緒に入れたらなあと考えてたんだよね」

「えっ一緒に・・・混浴・・・」

(どきーん、西野同じ事考えてくれてたのか〜嬉しいなあこれで俺たちは・・・どきどき・・・)

「コラッ、違うってば、男湯にちゃんと入ってね、合宿じゃあいつも女湯潜入してるらしいし・・・」

「ぎくっ、いやそのそれはその・・・あわわわわ・・・そのあのう・・・
で、でも好きな女の子とのんびり入る温泉とそれは全然違うんだ・・・あれはわざとじゃなかったし事故だよ事故・・・西野、そのう・・・」

あわてて腕を振る俺の言葉に西野は真剣な眼差しを向けている。
眉をひそめて怒ってる・・・男の本音と下心は理解されないものだ・・・。

「本当に違うの??」

「えっ、ああ、・・・違うよ全然・・・その、一緒にいたいしさ・・・なんて言うか甘えたいみたいなところあるし・・・ごめんっ!ほんっとごめん!!」

「・・・あやまらなくても良いよ・・・なんだかすごーく嬉しいし・・・混浴してみようか・・・」

真冬の公園に長くいるのに西野の頬が熱く火照っていくのがわかる。
色素の薄い肌は気持ちを鏡の様に照らして、見る間に耳も首も紅くなっていく。
俺も寒さを感じなくなった体が震えてくる、とうとうその日が来る・・・。

「西野・・・それって・・・期待していいのかな・・・」

「・・・うん・・・当分逢えないもん・・・それくらいいいよね・・・」

「そうだよな・・・それくらい・・・」

安堵が心の氷を溶かしていく。
はっきり言うことの出来ない、拒絶を恐れる二人にとってわずかに見えるお互いの気持ちが唯一の救いであったのだから。

(諦めなくていいんだ、これからも二人は遠く離れていても気持ちが一つであればそれでいい、
時折帰ってくる西野を待っていればいいんだ、お盆には必ず帰ってくるだろうし・・・)

「・・・寒いね・・・」

「・・・ああ・・・」

自然と寄り添う影・・・少年と言うには大きい胸に頭を預け、微笑を浮かべたまま瞳を閉じる少女・・・。
木枯らしが木々の枝を揺らしても、寒さは感じない。
冷たい光りでった外灯も心なしか温かみを増したように、一つの影をベンチに作っていた。
雲一つなかった満天の夜空が木枯らしと供に星を消す。
白いものがチラホラと舞い始めてきた、時刻は人気のない時間になっていく。

「・・・ねえ、出発いつ頃?・・・」

小さなささやきで胸元の西野に聞く、胸の振動で直接聞こえてるだろう。
寄り添う西野に猫背になって雪がかからないようにした。
大切なものを守るように・・・かけがえのない時間を二人で・・・。

「31日の午前中には出ちゃうかな・・・その時にトモコも来てくれるって・・・お土産は・・・何を頼まれたと思う?・・・」

ゆっくりとささやく声は雪に守られて自分にしか届かない。
さらさらと流れる雪の音を聞きながら、かすかに呼吸に揺れる西野の肩を感じていた。

「・・・んー・・・ブランド物のバックは高すぎるよな・・・ワインとか?」

「はずれ〜、エッフェル塔の置物だって・・・パリらしいものってこれが一番〜とか言っちゃって、
・・・うふふ、日本のおみやげ物屋さじゃないから見つかるかなあ」

「・・・ははは・・・見つかるよ・・・」

「・・・そうだね・・・うふふ・・・」

「・・・」

「・・・」

「・・・帰りはいつ?・・・」

「丁度一週間後の7日の夕方に空港に着く予定・・・
・・・手紙出すから、エアメールって一週間はかかるらしいから帰った頃に手紙が来るね・・・
・・・でも必ず出すよ・・・読んでね・・・」

「・・・うん、もちろん読むよ・・・気をつけて行ってこいよ西野・・・」

「・・・うん・・・」

「・・・空港に行くよ・・・出発する西野を見送りたい・・・」

「ありがとう、でもまだ下見だよ、受験生だから悪いなあ・・・」

「それくらい・・・勉強しなくても変らないよ・・・」

「あっ淳平くん真っ白!ごめんなさい気付かなくて・・・」

俺の肩が白くなってきた、見上げた西野があわてて雪を払ってくれる。

「ううん、気にすんなって・・・もう遅いし帰ろう、ご両親も心配するだろうし・・・」

「うん、そうだね」

ベンチから立ち上がるとお互いの雪を払って公園出口へと向った。
隣り合う手はポケットから出したまま・・・横を見ると西野も出したままだった・・・。

「あっ・・・淳平くん・・・」

「やっぱり冷たいなあ・・・少しはこれで暖かいだろ・・・」

ひったくるように握り締めた西野の手を、強引に上着のポケットに入れた。
指と指を絡ませて、冷たい指先まで温かくなることを願って・・・。
真っ赤になった顔のまま無言で西野の家まで送ることにした。
先ほどまでの沈黙とは違い、無言でいることが西野を側に感じる。
瞬く間に自宅に到着してしまう、絡めた指をゆっくり解き別れの挨拶をした。

「淳平くんおやすみ」

「ああ、今度逢う時は空港だな・・・おやすみ・・・」

年末の静かに白く変っていく街を一人歩く・・・凍える寒さだけど暖かい、このぬくもりは西野の温かさだ・・・。
数日後には機上の人・・・しかし、今の俺の心の中はここ数年感じたことのない安らぎに満ちていた。



空港のロビーは国外脱出のためごったがえしていた。
見逃してしまわないように、周囲に目を配らせていた。
しかし、時間が経過しても見つからない、焦りは濃厚になってきた・・・。

「淳平く〜ん、こっち、こっち!!」

「お〜い、西野〜」

元気よく手を振る西野、片手にはキャスター付きの旅行バックが有る。
駆け寄る西野も俺も息が切れていた。
見つからなかったら、パリに行かないんじゃないかと思うほど西野の顔は真剣だった。

「・・・もう逢えないかと思った・・・」

「ごめんな、年末の空港がこんな事になってるなんて知らなかったからさ・・・搭乗手続きの時間だよな・・・」

「ううん、気にしないで淳平くん、もう行かなきゃ・・・あっ、あっちでお母さんが手を振ってる・・・もう行くよ〜!」

「気をつけてな、あっちすごく寒いんだってなあ、がんばって下見してこいよ」

「ありがとう、いってきまーす!じゃっ一週間後に日本で逢おうね!!」

走り去る西野、突然振りむいて大きく腕を振る。
満天の笑顔。
それは冬の晴天の様に澄み切っていて清々しい、こだわりも後ろめたさもない真正直な笑顔だ。

「手紙書くよ〜!!」

「おお〜、楽しみにしてるらな〜!」

俺も同じく大きく腕を振った。
人ごみに消えていく西野の背中を最後まで見ていた。
振り上げた手をゆっくり下ろしながら、夢を現実にする為に努力を惜しまない女の子を見送った・・・。



晴天の冬の空は澄んだ深い蒼だ。
西野の乗った飛行機を見つけ、人のまばらな屋外の展望所でぼんやりと見ていた。

「・・・西野・・・いってらっしゃい・・・」

口元を白く煙らせつぶやく。
滑走路の端にあるそれが爆音と供に空に駆け上がる。
たちまち蒼い空の一点へと変っていく、
音も影も形もなくなった機体が飛び去った空をいつまでも眺めていた。



お屠蘇気分も抜けぬ頃、所轄署から問い合わせの電話が鳴る。
フランスの日本領事館から確認の電話であったが、誰もそれを確かめるものはいない。
留守宅に虚しく響くテレホンコールも10数回後には切れてしまった。

この家の少女の部屋には二つのカレンダーが並んでいる。
一つは旧年度、もう一つは新年度。
新しいほうには既に走り書きがしてあり、三月まで予定がぎっちり組まれていた。
一際大きい印のそれにはこう書いてある。


『別荘へ・旅行』


主のいない家のポストにはもう誰も見ることのない年賀状が山と積まれていた。


記憶は風になり、想いは天から降り注ぎ積もっていく。
何もかも忘れるまで繰り返す。
それを愚かだとは誰も思うまい・・・誰も・・・。