果てしない空の下、君に続く道を見つける。

今は遠いそこに、いつかはたどり着けるんだと信じて。



記憶鮮明 -キオクセンメイ-

『君が君であるために』



白い壁をぼんやりと見詰めていた。
ここかどこか気付く前の数分間、羽音が耳元をかすめる。
覚醒する前に聞いたささやきが耳を離れない。


「大丈夫ですか真中さん、ここがどこかわかりますか?
・・・909号室の真中さん意識を取り戻されました、至急先生と処置を・・・」

体についていた身体機能を維持する為の機械や管が取り除かれると幾分軽くなった。
白い壁とシングルベット、傍らの酸素マスクは待機中で、薄いベージュのカーテンはゆるく春の日差しをさえぎる。

母さんが帰宅した後、友人らしい人たちが見舞いに来た。
『らしい』としか思えないのは寝ていた期間が長い所為かも知れない。
キャンパスの話、高校時代の話、うなずくだけの俺。
どれもが精彩に欠けていて朧だ。
映画の話になる、出演者の話、キャスティングもめたこと、出展したけど優勝は出来なかった事・・・

「俺、あんまり覚えてないんだ、今度映画見せてくれるかな?」


沈黙。


その沈黙はなんだったんだろう。
まあ、こんな記憶喪失状態じゃあ、皆も引くよな。
「今度絶対お見せします、テレビとビデオをお持ちします。」
泉坂高の映研部長の女の子が律儀に言う。

「真中さんはお疲れですので、そろそろ」
看護婦さんの気遣いで病室は再び静かになった。

何か欠けた自分に気付かないもどかしさに頭を抱えた。
大切なもの・・・決して忘れてはいけないものなのに・・・それは今どこにあるのだろうか・・・。



数週間のリハビリと日常生活に戻る為の訓練をし、家に帰ることができた。
この間に見たアルバムの最近のものは、かなり抜き取られていて隙間だらけだった。
意味不明なそれを見せることに、母さんは少し躊躇したようだった。
あの後、一回限りで友人達は見舞いに来なかった、俺にとってなぜだか知る良しもない。
高校に登校する準備が出来た。

教室で退屈な授業を受ける。
クラスのほとんどは知らない、おぼえてないから仕方ないか。
ちなみと言う子が気さくに声をかけてくれた、お見舞いにも来てくれてたかもしれない。
放課後、この子に手を引かれて映研の部室に顔を出した。
ここに自分が席を置いていることは何とか記憶にあった。

「お久しぶりです、ご無沙汰してましたね、改めて自己紹介します。」
「映研部長、三年の外村美鈴です、今は部員も少ない部ですが盛り上げていきましょう。」
「あ、ああ、よろしく」
差し出された手と、真っ直ぐな情熱の瞳にたじろぎながら握手をした。


握手・・・心のどこかがちくんと痛んだ・・・。


早速、俺が製作した映画を見せてくれるらしい、後は再生ボタンを押すだけという段階になったとき、
後で二人がこそこそと話していた、何かまずいものでも映画化したのか?
俺のことだからエロイシーンとかあるかも・・・
「ホントにいいんですか? 北大路先輩主演の映画の方にしましょうよ」
「こっちの方が今の真中先輩には必要だと思うのよ、これは避けて通れない道でしょ」
「いまじゃなくても、いいじゃないですかあ、なんだか不安ですぅ〜、突然暴れたりしないかしら・・・」
「暴れたりしないわよ・・・泣くことはあっても・・・行くわよ!」
暴れる? いきなり女の子を襲ったりとか・・・んなことないよな・・・泣くのか、感動モノなのかな?
カーテンが引かれ、薄暗い中、映画がスタートした。



「どうでしたか? 真中先輩の作品なんですが思い出されました?」
丁重な口ぶりに、期待が見え隠れする。
結果は・・・残念としか言えない。
「うーん、あまり・・・思い出すより、映画面白かったと言うのが正直なところかな、
ホンットごめんな・・・」
「そうですか・・・」
「そうなんですかあ、ちなみは思い出して泣いちゃいました〜、西野先輩〜うえーん」
「ちなみちゃん!」
「あっ、ごめんなさいっごめんなさいっ」
「すいません・・・」
「いいからいいから、なにも怒ってないよ」
ぺこぺこ謝る彼女たちの意味するところがわからない、戸惑いながら今見た映画を反芻する。

お見舞いに来ていたメンバーと知らない女の子
・・・本当に知らないんだろうか・・・

「天使がいた」
「えっ・・・」
独り言に二人か反応した、だけど顔をあわせた途端にうつむいてしまった。
「ごめんな、なんでもないよ・・・もう帰るわ・・・」
気まずい雰囲気の部室を後にした。


帰り道の公園でブランコが風に揺れている。
誘われるように近づく。

「・・・実在したんだ・・・夢かと思ってたのに・・・」

春の風はきつく、長くなった俺の髪をなぶる。
ブランコは規則正しい起動をえがいて、風に揺れていた。
まるでそこで誰かがいるかのように。




一ヶ月の眠りの中で失ったものは多かったらしい。
それさえも知る事が出来ない自分なのだけど、大きな喪失感がたまらない。


夢を見ていた。
長い夢を。
励まされ立ち上がり、やっと目覚めた。
常に側にいてくれた君。
今、君のことが知りたい。


同級生であった外村に電話してみた。
早速出向いてくれて会うことになった。
「久しぶりだな、さて、今からある所に行こう・・・それにはまず花を買って・・・」
「大体どこに行くか見当つくよ」
「・・・そうか」
バスは目的地まで俺たちを運んだ。




バスの中で今までの出来事を簡単に説明してくれた。
俺の昏睡するような怪我の原因。
まったくバカな原因だった。
高三の三学期だと言うのに、繁華街で泥酔して誰かに殴られて路面に頭を強打したのだ。
泥酔するまで飲んでいた理由は教えてくれなかった、
今行くところで説明するとだけ外村は語った。

郊外の寺に着く、ある墓石の前に俺たちは立った。
花を沿え線香も焚く、まだ枯れない花がたくさん残っていた、あふれた花束は墓石に立てかけてある。
いまだ冬枯れした風景の中、そこだけが花園のようだった。

「おまえは冬に西野つかさと付き合う覚悟を決めていた、つかさちゃんも留学前にお前が決めてくれたことを喜んでた、
お前がおぼえてなくても事実だ、そして・・・留学先のパリを家族で下見していた時に・・・事故が起こったんだ。」
「・・・」
「アイスバーンの峠道で車ごと谷底まで落ちた、川に転落してしばらくしてから発見された、
ご両親は見つかったんだけどな・・・ここに西野は眠っていない・・・」
「・・・」
「その後のお前は・・・そこは忘れたままの方がいいな、つかさちゃんもそう思ってるだろうからな・・・」
「ずっと・・・」
「ん?」
「ずっと、側にいてくれてたんだ・・・俺を守ってくれてた・・・俺、夢の中でさ、はじめて好きって言えたんだ・・・はじめて女の子に・・・」
「思い出してきたのか!?」
「最後の冬の、最後の顔は・・・ずっと胸の中にあった・・・名前を忘れてもおぼえてるんだな・・・ははは・・・いまさら告白できたなんて・・・」

「・・・」
「・・・」

風が鳴る。
鎮魂歌の様に耳元で鳴いていた。




片翼を失っても日常は変らずそこにあった。
ダブった俺を担任になった黒川先生は親切に指導してくれていた。
これなら授業もついていけるだろう。
映研も勧誘の甲斐があって、掛け持ちでも部員になってくれる生徒も見つかった。
これなら今年の夏も映画が撮れそうだ、ほとんど美鈴部長のお陰でもあるけど。

大学に進んだ友人達は、時折、気まぐれ程度に声をかけてくれる。
多分、気遣いすぎて疎遠になったんだろう、
それに高校と大学じゃあタイムスケジュールも会話の内容も違いすぎる。
慌しい生活の中へみな没頭していく。

西野家の墓はそのままでも、遠縁の親族しかいなくなった家は管理も出来ないとの理由で売却がきまった。
二人っきりで夏に訪れた旧家の別荘も人手に渡ったらしい。
君につながる場所が消えていく。
無常の風が流れる。


いつまでも忘れないもの、変らないものはないかもしれない。
でも与えてくれたものはいつまでも胸に残る。

本当は君のいるところへ行きたかった、でも君はそれを許さなかった。
忘却の彼方にあって君を想う。
失ったカケラの中に君につながる思い出がある。
哀しいかな人は忘れてしまう。
思い出は二人の絆かもしれない、
しかし絆を失っても、尚、残るもがあるとするならそれは・・・


今年の誕生日は決して忘れない、たとえ死んでも・・・。


-完-


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