一人の男が全力で街を駆けている。



一人の男が全力で街を駆けている。

待ち合わせの時間よりすでに、三十分過ぎていた。

顔を真っ赤にしながら、絶望的な状況でさらに走る。

よれたTシャツとGパンが、汗を吸って身体に張りつく。



「おそいよ、淳平くん!」

通りのむこうから透き通った、声一つ。

少女というにはすでに大人で、落ち着いた雰囲気の女性が、

幼さを感じさせる仕草で声をかける

秋に近い高い空の下で、

青い色のワンピースがゆれる。



映画館、テアトル泉坂。

ここで思い出の映画を観る約束をしていた。

今日は貸切、

だから二人がそろわなければ上映されないのだが、

待たせてしまっては、ばつが悪い。

「わあー、玉の汗、すごいよ」

Tシャツで拭おうとする真中をとめて、

ポーチからハンカチを出すと、西野つかさは、

真中の顔に浮ぶ汗を、やさしくふきとる。

「ご、ごめん、西野、あの、あのさ、」

真中は、息きれぎれに謝る。

会社から全力疾走したのだ。うまく言葉が出せない。

「いいよ、それより映画観ようよ、豊三郎さん待ってるよ」

言葉を遮るように言うと、

彼女はにっこりと微笑む。



二人は、テアトル泉坂の扉を開けた。



早速、映画が始まり二人は真剣に見入っていく。

映画は60年代終わりのニューヨーク、学園紛争を描いた青春ドラマ。

いく度目かのデートの時、ここで見たものの一つだった。

映画も終了し、互いの近況と感想をのべあうと、

いつの間にか真中がうつむいてるのに気付く。

「あれ、どうしたの」

「あのさ、西野今日誕生日だろ、

 それでさ、ついでって訳じゃないけど・・・」

ごそごそと、ポケットを探る真中、つかさの前にそれを差し出す。

「あっ」

それを開ける、ピンクのアメジストが光るカットリングが。

「結婚して欲しい、今すぐって訳でもないけど、て言うか、いろいろ準備ってあるだろ、

 俺もまだ映画制作のアシスタントぐらいのことしかこなせてないし、

 だからあの・・・」

照れもありだんだん早口になっていく、

言葉が途切れたのは、彼女の涙を見たから。

「西野、あの・・・」

「うれしい、うれしいよ、それなのに、

涙がでるのって、変よね・・・、とまらないの・・・」

口に手をあて、肩震わせ、

古いぼやけた照明の下でも、それとわかる大粒の涙。

真中は黙って見ていた。



そして、そっと真中はつかさの手をとり、指輪をはめる。

するりと最初からそうであったかのように、つかさの左薬指にはまってゆく。

「良かった」

真中はほーっとため息をついた。

ここで間違うとすべてが台無しになるから。



いつどこで、サイズを調べたのだろう。

そんなそぶりも見せずに、

言葉がでない・・・。



映写室の豊三郎が、安堵のため息をつく。

「あいつ、ああ見えてオク手だからなあ、 これでもう、安心てワケだな」

茶をすすりながら、ラジオを聴く。

古い歌謡曲が流れる。

「おお、今の二人に丁度良い曲じゃねぇか」



半開きのドアから、その曲はもれて、

BGMのように、二人をつつむ。



「ずっと一緒にいよう」

「うん、ずっと一緒にいようね」



曲の名は、『「いちご白書」をもう一度』


「いちご白書」をもう一度

作詞・作曲:荒井由実
唄:バンバン(ばんばひろふみ)

いつか君と行った 映画がまた来る
授業を抜け出して 二人で出かけた

悲しい場面では 涙ぐんでた
素直な横顔が 今も恋しい
雨に破れかけた 街角のポスターに
過ぎ去った昔が 鮮やかによみがえる
君も見るだろうか 「いちご白書」を
二人だけのメモリー どこかでもう一度

僕はぶしょう髭と 髪をのばして
学生集会へも 時々出かけた
就職が決まって 髪を切ってきた時
もう若くないさと 君に言い訳したね
君も見るだろうか 「いちご白書」を
二人だけのメモリー どこかでもう一度(繰り返し)

二人の観ている映画は、「いちご白書」です。

1968年4月4日に始まったコロンビア大学の学園闘争は、大学当局がハーレムの子供たちから遊園地を取り上げようとしたことに端を発して地元ニューヨークをはじめ、全米に大きな反響を巻き起こしました。この紛争に関わった当時19歳の同大学生ジェームズ・クーネンが書いた体験記を映画化したのが『いちご白書』です。愛や平和、自由を求める若者たちの姿と、主人公の学生二人が大人へと脱皮する様を描いた青春ドラマの佳作です。カンヌ映画祭審査員賞受賞。